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Fri.

司馬遼太郎『菜の花の沖』『歳月』推薦文

某所Mでの自分の書き込みを保存。わりとよく書けたので、というナルシスティックな事情。
お題は某さんの「司馬遼太郎作品の個人的な食わず嫌いである『俄』『菜の花の沖』『風の武士』『歳月』の4作品について、お薦めのコメントをよろしく」というもの。

本『菜の花の沖』は途中からすごくスリリングになっていって、読み終わるのが惜しいほどでした。史実に根ざした冒険小説ですね、あれは。
読みだす前にあれこれ考えてしまうと、時代背景なんかがちょうど中途半端な時期に思えて、「そもそも何がテーマ?」なんて疑問が頭をよぎってしまうかもしれませんが、いったん読み始めてしまえばやっぱりその時代時代の息吹みたいなものがあって、退屈はしないものなんだなあと気づきます。というか、僕は気づかされました。(笑)
傑作だと思う。


『歳月』は、『竜馬がゆく』『翔ぶが如く』『燃えよ剣』『世に棲む日日』『花神』『峠』『胡蝶の夢』といったあたりを軒並み読み終えて、その後に手を出すのであれば、絶対に後悔しないと思います。
これは逆説ではなくて、文字通りの意味で。
なんで今さら江藤新平?この時代のことはもう一通りわかったよ、という程度の心境になってから読み始めると、歴史観の隙間が面白いように埋まっていくのがわかる。
また、『関が原』で石田三成の思いがけない一面(解釈)に目が開かれるように、『歳月』では江藤新平が決して死ぬべくして死んだヒステリックな小人物ではなかったことに気づかされます。

その一方での歴史のうねりの凄まじさ、過酷さ、というようなものが恐ろしくリアルに伝わってきて、なぜ江藤新平は暴走し死ななければならなかったか、というその背景(への有力な一解釈)が見えてくる。
幕末から明治初期にかけてのある程度の歴史観を持てた後に読めば、なかなかほかにないほど面白いです。


ほかの2編に関しては僕はまだ読んでいないのでよくわかりません。
ちょうどそのあたりの作品群が、僕も食わず嫌いのようです。
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13:44 | 書籍批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Mon.

J・P・ホーガン「星を継ぐもの」を読む

今日はウォーキングに行くのをやめにしてから、おやつ+読書タイムを取って、SF小説「星を継ぐもの」の最後の方を読みました。
読み終えて思うこととしては、とりあえず評判ほどの作品ではなかった。
まず最大の問題は、昨日の段階で判明したことだけど、この作品の最大の謎(科学的に究明されるべきテーマ。ネタバレを避けるためここでは言及しない)が、あまりにも見え透いていすぎること。
僕は小説の初めの3分の1くらいのところでこの謎が提起されて、学者たちの話し合いが紛糾した最初の段階で、頭の中にある仮説を思い浮かべていたんだけど。
登場人物たちの誰一人、僕と同じ仮説を唱える役回りの人がいないもんだから、「いや、これは・・・?そんなバカな、こんな幼稚な謎を設定するわけがないだろうし。・・・でもまさか?」みたいな居心地の悪さを引きずったまま、物語の終盤まで読み進んでいたんだけど。

昨日、治療前の昼食をとりながらだったか、ついにその謎が解き明かされるシーンを読んで、そのむずがゆさは頂点に達しましたとさ。
どうもこうも、・・・大正解でやんの。(呆
散々もったいをつけて、主人公のハントとかいう学者先生はカッコつけまくりでキザったらしく、正確に僕の予期した通りの謎解きを披露して。
・・・待望の解答が与えられ、科学界は興奮の波に洗われ、マスコミ界は新たな取材合戦に狂乱を呈した。反論も異説もほとんど出なかった。ハントの仮説はもとより反論異説のつけ入る隙がなかった。ハントは完璧に責任を果たしたのだ。・・・
だとさ。
あまりにも酷すぎるよ、この古典的傑作は。

作者のJPホーガンさんとやら、科学的知識の深さ豊富さは見事な域だけど、人間ってものの賢さをまったく理解してないとしか思えない。
その程度の想像力なら、なにも主人公のスーパースター学者先生じゃなくったって、何人かに一人くらいは確実に備えているから、謎解きの論争をするうちには必ず一部の学者たちが正解にたどり着いてるよ。
僕だけが特別なのかも、なんて妄想に酔うにはあまりにも素朴すぎる、あまりにも初歩的なことだよワトスン君的な、単純明快な予定調和の、謎。
ただそれよりちょっと後、ダンチェッカーという別の学者が指摘することになるもう1つの謎解きの要素は、僕の想像よりももう1枚入り組んだもので、僕も予期できていなかったけど。
でもそれは、あくまでも添え物的なもので、メインディッシュはあくまでも上の見え透いた謎解きの方だから。
お話になりゃしません。

そういえば、登場人物はことごとく欧米白色人種らしいって点も実に妙だったな。(笑)
ラストでやっと、スーダンの発掘現場で働く現地人たち、なる人々が出てくるけど、彼らは明らかに単純労働力だし。
こういう種類の視野狭窄は、未来を描くSFではあまり見たくない。


あと、毒舌ついでにいうと、翻訳も悪すぎ。
翻訳者は池央耳火(「耳火」で1文字。読み方は知らない)という人なので、翻訳にこだわる方はブラックリストに載せといた方が無難でしょう。(※追記参照)
具体的に指摘すると、そのままじゃ明らかに意味が通らない場所を平気で放置してしまってる箇所が特に前半、何箇所かあった。
たとえば、たぶん原語はearthなんとかだと思うけど、「地球上」と訳してあるんだよね。
でも、そこで「地球上」が出てくるわけがないんだ。
地球上の話と行き来してるから判断が難しくはあるけど、そこは別の惑星の話をしてると解釈しなきゃ意味が通らないんだから。(笑)
「大地の上」、つまり「陸上」と訳さなきゃ意味の取りようがないのに、平気でそのままにしてる。

それから、主人公とダンチェッカーの関係の変化を、あまりにも素朴に両者の話し方に反映させすぎている点もものすごく不満で興が冷めました。
身分が下になった途端に(厳密にいえば、下というにも当たらないんだけど)、畏まって敬語を使いまくるダンチェッカー。
つい先日まで丁寧語を使っていたはずなのに、「~かね?」という具合ににわかに尊大ぶる主人公ハント。
2人にはかなり長回しの対話シーンもあるので、その違和感は無視しようもなく。
日本語は、そういうあたりをしっかり訳し分けないと、登場人物たちの人間性をさえ狂わせてしまう。
そういう意味でも、この本は非常にお粗末でした。
なんだかんだいいつつ、もうシリーズ3作ぜんぶ買ってしまったから、これから続編2冊を読まなきゃならないんだけれども。
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04:19 | 書籍批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Tue.

虫の夢からとめどなく連想

今日も夢見が悪かった。
白い何かの幼虫がたくさん出てきて、そこは木の上だったのかどうなのか、僕は虫を箸みたいなもので摘んだり押しやったりして下に落としていた。
そんなに激しい嫌悪とかはなくて、ちょっと嫌だなあ、という感じで事務的に。
自分が落ちる不安とかは別になかった。
次々と順調に虫を落としていって、でも最後の1匹がなかなか、葉っぱか何かの下に入ったり出たりして捕まえられない。
虫を全部払い落とせたら、すぐ近くでお椀みたいなのを被って閉じこもっている何かいとおしいものを引っ張り出そうと思っていたような気がするけど、よくわからない。
けっきょく捕まえられないでいるうちに目が覚めた。
昨日みたいなはっきりした悪夢というのとは違うけど、実に気がかりな夢だった。

「気がかりな夢」って、すごくいい表現だと思う。
有名なカフカの「変身」の出だしも、それで始まるんだよね。
というより、多分あの作品が、この表現の登場の最初なんだ。
「グレゴール・ザムザがある朝、何やら気がかりな夢から目を覚ますと、・・・」
優れた作家のたぐいというのは、大抵そういう決定的なフレーズをどこかに持っているような気がする。
たとえばドストエフスキーだったら、「○○は教え諭すように言った。」という表現がすごく印象に残ってる。
世間の「正論」を常に自分の側にひきつけて、相手がそれに歩み寄ることしか考えられない手合いの人物のセリフに、ドストエフスキーはよくこの表現を使う。
「妻たる者は、この世の誰よりも夫となる人物を愛さなくてはなりません。」Xは教え諭すように言った。
なんて具合に。
これは「罪と罰」のどこかに似たようなくだりが必ずあるはずだけど。

ドストエフスキーが生前、トルストイを激しくライバル視していたというのがときどきおかしくてしょうがない。
どっちも確かに、典型的な文豪タイプの長編書きだけど、レベルは段違いだろうと思う。
というより、ドストエフスキーというのは世界文学史上、人間の内面を抉り取る描写力という意味では間違いなくダントツの1位だ。
星の数ほどいるストーリーテラーの1人に過ぎないトルストイ(この言い方も理不尽なくらいの暴言ではあるけど)とは、その点が決定的に違う。
たぶん当時の文壇では、トルストイの方がはるかに人気があったんだろうな。
だからつい、彼も意識せざるを得なかったんだろう。
僕はトルストイは、何か「少年時代」とかいう自伝的な小説と「アンナ・カレーニナ」だったかな、何かそういう小説としか読んでなくて、有名な「戦争と平和」なんかはまだだけど、それでも小説家・思想家としての格調の違いははっきりと感じるよ。
救いをもっぱらキリスト教的な宗教的達観に求めて省みないトルストイと、キリスト教的価値観に依拠しつつもそれを超越した人間的課題という部分で突き詰めようとしたドストエフスキーとでは、ちょっと同じ天秤には載せられないとすら思う。

そんなに天才的にお利口なはずのドストエフスキーは、生前はたしか貧乏士官上がりの在野の社会活動家で、女を追いかけてスイスまで行っちゃって、挙句の果てギャンブルにハマって一文無しになって帰ってこられなかったり、中途半端に社会活動して捕まってシベリア送りになったり、バカなことをいろいろやっていた。
まったく、人間ってものはよくわからない。
04:33 | 書籍批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Thu.

中島らも「アマ二タ・パンセリナ」を斬る

ここしばらく、中島らもの「アマ二タ・パンセリナ」を読んでるんだけど。
実に酷いものです。この作品は。

必ずしも最晩年の作品というわけじゃないだけに不思議だけど、「今夜、すべてのバーで」や「水に似た感情」に見られるような公平で率直な、冷徹な視点というものがまったく欠落してるように僕には思える。
ドラッグの品格を語り、シャブ(覚醒剤)は最悪で論外とか、対象の善悪問わず開かれていなければダメで、ドラッグ類も試した上で取捨選別するようでなくては人と猿でいえば猿のレベルだとか、・・・とにかく根拠薄弱な独断が目立つ。
体調の悪い時期だったのかもしれないけど、感覚的に強く思うのは、この人はだいぶ脳の萎縮が進んでいたんじゃないかということだ。

緻密な思考力がない。
それに気づくほどの繊細さもない。
あるいは、語っても仕方のないことは語らないという矜持の高さもまた、ない。
ほかの作品に共通してあった中島らものよさが、この作品ではきれいに消え失せている。
読んでいて退屈ではないのはさすがというべきだけど、哀れを催します。
この作品以降にも優れた作品は書いていたはずだし、そもそも僕のお気に入りの「今夜、すべてのバーで」とそんなに年代的にずれているわけでもないから、とにかくネジが狂っていたんだろうけど。

しかし見苦しい。
この作品は、中島らものキャリアの中での汚点だと思う。
16:07 | 書籍批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Thu.

司馬遼太郎「歳月」を読む

最近、司馬遼太郎の「歳月」を読んでます。
分厚い文庫本1冊にかろうじて収まる長さの長編。
「竜馬がゆく」とかに比べてこの作品が知られてないのは、主役の江藤新平があまり人気も人望もないからだと思うんだけど、予想外に面白いです。
まだ半分くらいしか読んでないけど、これはアタリだと思う。

はっきりいって、僕もここまでの期待はしてなかったんだけど。
僕はここ数年、司馬さんの幕末ものが異様に好きで、長編だけでも「竜馬がゆく」「翔ぶが如く」「世に棲む日日」「燃えよ剣」「峠」「花神」「胡蝶の夢」・・・と読んできて。
そろそろほかに読むのがなくなってきていた。
だから、江藤新平だけどまあいいか、というのでブックオフで探して手に入れたのがこの「歳月」でした。
中古のくせに500円もしたけど(←憶えてるわけじゃなく、背表紙にシールが貼ってあるので)、買っといてよかった。

何がいいといって、あの時期の歴史の、これまで疎かった部分をものの見事に埋めていってくれるんだよね。
この小説は。
単に別の視点から見た歴史、とかじゃなくて、これまでなんとなく曖昧だった箇所がピタッピタッと穴埋めされていく感じ。
これまで、けっこうな数の本を読みながらも2次元どまりだった歴史観が、にわかに3次元に立ち上がってくるような。
竜馬が生み出して西郷が引き継いだ革命主流の流れを描いた小説は多いし、逆に彼らの前に敗北の悲運を味わった人々を描いた小説も少なくない。
だけど、この作品はそのどちらでもない、というところに価値がある。

たとえば、江藤新平はなぜ西郷主唱の征韓論に加担したか。
西郷を煽って薩長閥を崩そうとした、というのが一般的な説明だけど、もちろんただそれだけなんてことがあるはずもなく。
江藤には江藤の背景があり、主義主張があり、時勢観があり、それを通して見ないとわかり得ない明治政府への不満があった。
決して、単純な政権争いなんかではなかった。
または、同じ佐賀の大隈重信は、なぜ江藤とは一線を画して、薩摩の大久保利通に接近したのか。
さらにはそのことによって、江藤-大隈の関係はどのように変化していったのか。

あるいはまた、ほかの小説を読むと漠然と印象されるように、彼らが人間のスケールとして、西郷や大久保よりお話にならないほどちっぽけだったのか。
決してそうではない、ということがこの小説を読むことで見えてくる。
人間はやっぱり、生れ落ちた環境や時流によって立場を変えて、それぞれに違った才能として世に現れてくる。
その悲哀を抱えながら、死に物狂いでそれに逆らおうとした江藤新平。
逆に、鬱屈しながらも高度に時勢の流れを読んで適応し、将来を期そうとした大隈重信。
それぞれに長所・短所を抱えた彼らのキャラクターもあいまって、他作品で見かける彼らの人物像とはまったく違った魅力が見えてくる。
江藤=潔癖症の小才人、なんてステロタイプな見方をしてしまってる人にこそ薦めたい作品です。

かつて僕に新しい石田三成観を開いてくれた「関ヶ原」と並んで、これは司馬作品の隠れた白眉かもしれない。
読み終えてみなければまだ何ともいえないけど、でもそうかもしれない。
何にせよ、かなり楽しませてもらってます。
今のところ。
21:11 | 書籍批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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