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Sun.

カミングアウト

このところ、すごく考えてしまうコンディションが続いてる。それも、夜。眠れない。
それで、これからのことを思い悩んでる。ものすごく具体的に。
今の僕の生活は、プロフィールのところではあえて触れてないけど実はおよそ誉められないもので、要は中2以来の慢性病に振り回されたまま、25になった今もなお、先の見えない治療にほとんど専念してるような状況だ。
その慢性病の詳細や主症状については、およそ美しいものではないからここでは触れない。

治療というのは、前にもすこし触れたけど東洋医学研究家W氏によるもので、なぜそんなマイナーな治療法を選んでいるかといえば、過去10年あまりでかかってきた幾多の病院で症状の改善がまったく見られなかったためだ。
この慢性病を、僕は一生背負っていくのかと思っていた。
8ヶ月ほど前にW氏と出会い、その治療が効果を発揮したことで、初めてかすかな光が差した。ただ、はっきりと症状の改善が見られたのは最初の1,2ケ月のことで、ここしばらくは体感上、治療の効果は現われていないのだが。
W氏は治療の進展を明言してるので、はっきりいえばその言葉だけが頼りというような状況だ。


東洋医学のいいところは、主症状だけではなく、全身の問題を包括的に捉えて、その底上げを図る中で主症状をも治していこうとするところだと思う。
そうしたアプローチの違いから、西洋医学の盲点になっている難病でも治せる場合があるらしい。たとえばW氏の場合、鬱病を心臓系統の機能不全として捉えて、あくまでも「身体から」治そうとする。
あらゆる局面でそういう特徴がはっきり出てくるから、話を聞いているだけでも面白い。
だけどそのおかげで、僕は自分自身の抱えるさらに大きな問題に気づかされる破目になった。

もともと、僕はメインの症状とは別に、根本的なフィジカルの問題をだいぶ抱えていた。
それはこれまで、主症状を気にするあまりさほど意識に上らなかった部分だったが、治療の進展とともに主症状が軽減してみると、案外それだけでも人並みな生活を送る上で決定的な障害になりかねないものだとわかってきた。
極端な体力の不足、回復力の欠如などがその主なものだ。

中学や高校のとき、僕は自分と同様に体力のなさに悩んでいるはずの連中が運動部に参加して、どうにかこうにか日々の活動を消化していけることが不思議で仕方がなかった。
どうやら、それは要するに、僕だけは「病的なレベルで」体力が不足していたこと、が原因であったらしい。
(W氏の説明をいろいろと聞いて、その末に納得した部分だけど、こうして結論部分だけ書いてみると我ながら説得力がない)
10年も経って今さら気づくというのもなんだか間抜けだけど、そんな診断を自分で自分に下せるわけもなく。
僕はずっと、夢にもそんなふうに考えたことはなかった。


そしてこういう、大げさにいえば闘病生活の中で僕が学んできたのは、世の中には文字通り、どうにもならないことというのがあるんだということ……もともと、僕は「為せば成る。すくなくとも僕の場合は」という考え方の持ち主だったのだが、この持病に関しては、一切そういう考え方は通用しなかった。
挑めば挑んだ分だけ跳ね返されてきた。中学2年の発症当時から今に至るまで、ただ1度の例外もなく。
もっとも、身体さえ治れば、という自負と希望はある。
慢性病に苦しみ続けた十数年間は負の遺産とし て一生引きずっていくのだろうが、僕は自分自身の精神的な資質、知性、美意識については不足を感じていない。

ああそれにしても、努力家の傲慢!
満足に努力できるほどの肉体的な充実やゆとりが、持たざる者にとってどれほどの特権だったことか。
僕が自分の肉体的な弱さに苛立ち、トレーニングに取り組んだことは1度や2度ではなかった。
そういう中で、たとえば腕立てふせは決して20回を越えてできるようにはならなかったし、水泳の疲労は数か月通った後でなお、2,3日経っても回復しないのが常だった。

W氏に言わせると、筋肉というのはトレーニングで壊され、それが「過剰に治癒する」ことで強化されていく(これは僕も知っていた)。
しかし今の僕の身体にはそれだけの回復力がないので、鍛えても身にならないのは当然で、むしろ回復が追いつかず筋肉を少しずつ傷めることになるという。
「どんなトレーニングなら?」と訊ねてみたところ、ウォーキングや壁に向かっての10回の腕立てがせいぜいとの見立てだった。
もちろん、そうしたネガティブな見立てを、僕は唯々諾々と受け入れたくはなかった──やればやったでなんとかなるんじゃないか、というのがごく一般的な反応だということもよくわかっている。
でも、僕が繰り返した10年以上に及ぶ試行錯誤は、W氏が正しいということを明らかに証明している。


僕はずいぶん、この問題について考えつづけてきた。
今、何ができるのか。この身体ならこの身体なりに、プライドを持ち、多くを望んで、自立して生きていくことはできないか。
だけどやっぱり、結論は「身体さえ治れば」。努力さえ満足にできない現状では、僕は将来とも、自分自身に多くを期待できない。
ネットをやるようになってから、僕は活発な人たちの日記をずいぶん読み、何度かはほとんど呆然とした。
まるで飛んでいくかのように思えた。その、日々の充実が。1日1日の密度が。
そうして心底焦り、どうにかしようと思い、試行錯誤を重ね、無理に無理を重ねては失敗してきた。

“努力ができるのも特権”──なんだか怠け者の妥弱漢のいいわけみたいで腹立たしいけど、これが僕の試行錯誤の歴史の、いってみれば結論なのかもしれない。
だから今は、耐えるしかない。いたずらに焦っても仕方がないから。治療の進展を待ちつつ、これまでと同様に、地道な、できる範囲の努力を続けていくしかない。
ときどき、その状況に苦しむあまり、必要以上に苛立ってしまい、極端な、好戦的な意見を吐いてみたりする。
好むと好まざるとに関わらず、それが僕のおおよその現状だ。


昨日、また治療に行ってきた。
新たな問題が判明して、その克服のために、あと半年、というひとつの目安が示された。
その半年をどのように活用していくか、と考えたとき、僕はこのサイトのコンセプトを少し修正してみようと思い立った。
それは、自分を出すということ。
だからじき、たぶん全面リニューアルします。
ひょっとしたら、日記も書き始めるかもしれない。こういう内面的なものとは別に、もっと日々の記録になるようなものを。
現状と向き合うということや、それをオープンにした上で世に問う、ということを、もうすこし真剣にやってみたくなった。

……とりあえず、プロフィールにだいぶ加筆しないとな。。(笑)
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Sat.

川本真琴のこと

僕はどちらかといえば批判的な人間だけど、そのくせ自分と同じ批判的なタイプの人間があまり好きではなかったりする。
批判なんていう行為は実際、必要がない人にとってはまったくの無駄だとさえ思う。
だがしかし。とか続けるためではなくて、本当に本心から。
たとえば僕が歌を創るようになった直接のきっかけは、何を隠そう川本真琴というちょっとアイドルじみたシンガーソングライターだったんだけど。
あの人はまさに僕とは正反対のタイプだった。
好きとか面白いとかカッコいいとか、そういう肯定的な意識だけで価値観が成り立ってるみたいな。

遠慮なくいわせてもらえばあの人の場合、批判能力なんかはたぶん、ゼロに近い。これは頭の良し悪しでは全然なくて、その手の嗜好性をまったく持っていないから。
でも、そういう人が「これが好き!」といった瞬間、ほかのものははるか後方に霞んでしまう。
そうして、川本真琴は好きなものだけにのめり込む。そこには批判なんてものの挟まる隙間はない。
僕にとって、それは目が覚めるほど新鮮な感覚だった。
よけいなものなどは何もなくて、とにかく自由だった。
僕は自分自身も、なんとかしてそういう人間に変わりたいと思ったくらいだった。実際に、努力もした。


でも、さすがにそれは無理というものだとわかった。(笑)
やっぱり人間には先天的な資質や、人それぞれの成長過程というものがある。僕は文字通り革命的に、180度変わりたいと願って、でも結果としてはやんわり変わった。
そういうあり方があるんだということを理解して、たとえば高校時代のように、明晰な批判力に酔うようなことは少なくなった。
そして、ひそやかな羨望を感じるようになった。世間でいう“天然”とか、感覚的な部分の秀でた人たちに対して。

そうこうするうちに、僕は歌を創るようになった。
僕の中にも必ずあるはずの、感情的なもの、感覚的なもの、肯定的なものを、ひとつひとつ探しながら。
僕は川本真琴とはあまりにも違う人間だ。でも、彼女から学んだことは計り知れないほど大きかった、と今でも思っている。
スランプに陥るたびに、僕は川本真琴の歌を聴き返す。
“愛の才能”、“やきそばパン”、“タイムマシーン”、“1”、“ドーナツのリング”……。どれも僕にとって特別な曲だ。

川本真琴を知って、曲を創るようになった今も、僕が批判的な人間なことに変わりはないようだけど。
昔と比べれば、僕はずいぶん自由になった。
歌を創ることを知って、かえって苦しむことは増えたかもしれないけど、それでも。
後悔したことはたぶん、1度もなかった。
それだから今まで続けてこられたんだと思う。
00:00 | 人生観 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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