--.

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:-- | スポンサー広告 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sun.

「隣人は静かに笑う」を静かに笑う

木曜に借りてきた「隣人は静かに笑う」。
評判のいい映画だから多少期待したけど、よかったのは導入部だけでした。
あそこでグッと掴まれて、その後の主役の大学教授が米国史を講義する場面でガクッと醒めて、後はずっと冷淡に筋を追ってることしかできなかった。
アメちゃんにはあの程度が限界なのかな、って感じ。
テロリストがあんな、ウィットを解さないアダムス・ファミリー程度のものだったら、そこには人間の課題もヘッタクレもない。
(ちなみにアダムスファミリーは大好き・・・アメリカ的なもの、を毛嫌いしてるわけでは全然ない)

最初の講義の場面の、ほとんど一言目からよくなかった。
アメリカは何年前に革命を起こし、独立と正義と自由を勝ち取った。みたいなセリフ。
ああこの講義はダメだな、と学生気分で思ったね。
独立は事実だからいいとして、正義とは何?
自由は何をもって自由とする?
そもそも、歴史ってものは正義と不正義、自由と不自由(ないし圧政)、という二元論じゃ絶対に把握できないものだ。
もし現実のアメリカの大学でもあんな浅薄な米国史を教えているとすれば、現代アメリカの致命的な国際感覚の欠落は大学教育が元凶だな。

イラク侵略の問題でも散々出てきたアメリカの「正義」「イラク人に自由を」という類の病的思い込みとまったく同一の、ボキャブラリの貧困。
それが主人公の、教授としての第一声なんだから情けない。
いやでも、ひょっとしてこの大学教授は実は悪役の方で、これが「隣人」なのかな?と思い直して見てたけど、すぐにどうやらそういうわけでもないとわかった。
テロリスト側の人物描写も、ほとんど病的な逆恨みと奇妙な実務的実行力の混在、という程度のシロモノで、あまりにもお粗末過ぎた。
強いていえば、「テロリストはあなたの隣人かもしれません。気をつけましょう」という、平均的なアメリカ一般市民にターゲットを絞った啓蒙ビデオ?としてなら理解できるかな。
あれが映画だなんて、・・・制作費の無駄だよ。(毒

好きな人には本当に申し訳ないけど、僕は映画ってものを常に人間を中心に見ている。
小説でもテレビドラマでもそれは同じで、そこに不合理を感じたら、僕は決してその物語の中に入り込めない。
確かに社会にはいろいろな人間がいるけど、あのテロリスト夫婦の、特に妻の方の描き方の浅薄さにはほとんど絶望を覚えた。
あの人がどんな人で、何を思って生きて、人を殺しているのか、なんとなくでも想像しながら見られていたって人はいるのかな。
夫の方も途中までは悪くなかったけど、本性を現してからの描写はまったくダメ。
さらには、主役もよくない。こちらは描き方が問題というより、こういう人物設定なら主役としては見たくなかった、という感じ。
あまりにも人として鈍すぎるから。
大学教授という立場にいながら、主体的な思考能力や思想する能力に乏しすぎるから。

それはもう、僕にとっては見てられないほどに人間として醜怪だった。
講義での視野の狭さに始まって、アメリカ的誤認型正義の歩く標本、という程度にしか見えなくて。
そういう人物の視点で物語は描かれていくので、観客はその人物に自分を重ねなければならないわけだけど、僕にとってはそれはほとんど不可能だった。
アメリカ人向けだな、と感じた要素の一つはそのあたり。
アメリカ的正義、をとりあえず自分のものとして抵抗なく受け入れることができなければ、あの主人公は無理。
もしくは、観客の側に政治的主体性がまったく欠落していなくては無理。
コイツが悪役ならいいのに、とつくづく思った。
スポンサーサイト
20:27 | 映画批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sat.

イラク邦人人質の遺体発見

イラクの邦人人質の死体発見がほぼ確認。
人はこういうふうにして生きて死んでいくんだな、という感じ。
何が何やらわからないまま生きてきて、はっと気付いたときには生死の境に足を踏み入れていて。
そのとき初めて生きたいと願うけれども、もう大抵は手遅れで。
僕にももちろん、切実になんてわからない。
人質を待ち受けていた死の恐怖のすさまじさなんてとても。
ただ、ああ、とため息が出るだけだ。
いえることは何もない。

少なくとも、彼の軽率さを容赦なく嘲笑う多数派世論の亡者たちとは違って、僕には定見ってものがある。
彼と同じような種類の軽率さや迷いは世間にいくらでもあって、それがたまたま、彼の人生の進路の赴くところ、衝撃的な拉致と死のニュースという形になっただけだということが僕にはわかる。
彼は少なくとも、お茶の間でテレビを見ながら知恵の行き届かない罵声を発している多数派世論の論客たちの水準に照らせば、決してバカではなかったんじゃないかと思う。
もしくは、バカで軽率でも、どこかしら見どころくらいはあったんじゃないかと思う。
それがこうもあっけなく死ぬ、ということが、なんだかこの世のこととは思えないように感じられるだけだ。

オートマチックのように、時間刻みに計画通りに、処刑が実行に移されたんだろう。
自ら招いた結果といったって、我々は事なかれで生きるすべを彼より多く知ってるだけのことじゃないのか。
テロリストたちへの憎悪も、正直たいした憐憫もないけど、生というものの尊厳がひどく傷つけられたような気がしている。
誰かが憎いとかかわいそうではなく、イラクで起こったこの出来事が、1つの悲しい現象のように思える。
こうなっているのだ、という、ただそれだけのことのように思えてしまって空しい。
空しい、としかいいようがない。
05:23 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Wed.

あっちこっちで死が

死が跳ねてる。

新潟の地震でようやく発見された車から、2歳の長男が奇跡の生還。
でも母親は死亡確認。
ギリギリまで生きてたのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれないけど。
地震による崖崩れの瞬間まで、運転席から振り返って子供たちに笑いかけたりしていたのかと思うとやりきれない。
もう1人の3歳の長女も、脚しか見えなくて反応がないというからかなり難しいんだろう。

そうかと思えば、ネット上でも死の知らせが。
常連の猫さんのお友達で、僕より1歳年下の、ちょっと孤独な匂いのする詩を書く青年が、自室で一酸化ガス中毒死。
詩からうかがえる人間性から察して、事故だったように思いたいけど、ひょっとしたら自殺だったかもしれない。
よく知らない人だったけど、猫さんが今日の日記で紹介していた詩は魅力的だった。
その詩を見て初めて、ああ魅力的な人だったんだ、と思った。

死を目の当たりにするとげっそりする。
僕にしたって、日ごろ死や、ことに自殺を嘲笑っていられるのも、所詮は死が身近に降りかかっていないからこそだ。
テレビの向こうでの、ある母親の死。
ネット上で知った、生前はニアミス程度の関係だった青年の死。
ある意味、たったそれだけのことかもしれない。
でもたったそれだけでも、人の心を暗然とさせる。
19:24 | 人生観 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sun.

わが左腕の新潟地震

地震の予兆および影響、と思われる身近な電気機器の異常を2点経験したので、覚え書きにしときます。
まずは昨日のこと。
害者は(?)僕の愛用の腕時計。

ふと時計を見たら、いつの間にか時刻が20分以上も遅れていて。
ああこれは電池がなくなったな、そろそろだろうししょうがないや、と思ったものの、何気なく針をアバウトに時刻合わせしておいたんだよね。
そうしたらそれ以降、今に至るまでまったく時刻が遅れていかない。
つまりあの長針の遅れは、電池切れによるものではなかったわけだ。
とすると、いったい何が原因で遅れたのか、今もってわかってないってことになる。
ちなみに、僕の腕時計は龍頭が本体にがっちりと食い込んでロックされているタイプで、ちょっとした拍子に時間がズレてしまうようなものではない。

あれはどうも、大地震の前触れだったんじゃあるまいか。
なんてロマンティックなことを考えてもよさそうな気がする。
科学的にいっても、電磁波の影響とか何かあるんじゃないの?
まあ、よく知らないんだけど。(沈


そしてもう1つは、今日のこと。
治療帰りの電車の中で携帯を見たら、「しばらくお待ちください」って表示になっていて、これはいよいよ本体の寿命かと観念した。
僕の通常の待ち受け画面はカレンダーだから携帯の内部に保存されてる映像だし、もちろんそのときは通話状態にもなっていない。
ネットにもつながっていない状態で、なぜか表示だけ「しばらくお待ちください」。
こんな状態は3年半も使ってるけどかつてなかったし、帰ってから調べたところでは説明書にも想定されていなかった。

しかも、帰ってきた当初はその不具合は断続的に続いていたのだけど、今はすっかり復旧して、いつも通りのカレンダー画面が安定して表示されている。
これもやっぱり、電磁波か何かの悪戯ではないのかな?
そんな気がして仕方ない。
01:40 | 雑談・座談 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Thu.

K1ミドル級とサッカーを見る

今日はもうしょうがないと割り切って、猛然とK1ミドル級とサッカーを見てました。
K1は、●武田幸三-ブアカーオ○と、○山本kid-ナラントンガラグ●が特に面白かった。
武田のいかにも達人らしい間合いの取り方、超新星ともいうべき新チャンピオンに対抗するための策の数々、それを揺るがず実践していく精神の緊張。
そして、再延長の第5ラウンドについにその結界を打ち破ってKO勝利を収めたブアカーオの強さも、僕は決して嫌いではないです。
あの憎らしいばかりの落ち着きと自信、表情に漂う一種の傲慢さは、ブルース・リーによく似てる。
本物の天才だと思うね。

それから山本は、天性のものらしい野生的なエネルギーとバネ、さらにはカリスマ性をも兼ね備えた稀有のファイター。
言動が垢抜けてるんだよね。
魔裟斗みたいな可愛げのある「カリスマ」じゃなく、自然な言動がそのまま絵になってしまう文字通りの怪童。
とはいえ、僕は垢抜けない魔裟斗の方もけっこう好きだったりしますけど。(笑)
やることやってるしね。あの人。

サッカーは、・・・ジーコの無為無策を、彼の独特の強運と選手たちの頑張りがよく補って、強かったオマーン相手に1-0の勝利。
いつかしっぺ返しを食うと思うよ。あの辻堂の神様は。
福沢諭吉の幼年期の逸話だったかな、大人たちが崇め奉ってるお堂の扉を夜こっそりこじ開けて、ご神体の箱を開いてみたら、中に入っていたのは古びた流木みたいな木切れでしかなかった。という。
盲信して、あがめられている間だけの神様。
その正体は木切れに過ぎない。

「サッカーの神様」ジーコもまた、鹿島ファンとしては断腸の思いでいうけど、同じ「辻堂の神様」の一例でしかないと僕は確信している。
まあ今日は負けなくてよかったけど。
こんなことで、次の最終予選はどうなるんだろう・・・。
最終予選はなんとかなっても、ドイツでの本番は。
フジテレビのヘタクソな映像編集もあいまって、不安と不満ばかりが募る90分間でした。
03:33 | スポーツ | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Tue.

Syrup16g

ついさっきまで、シロップ16gというバンドのオフィシャルHPを見てました。
あるサイトで熱烈な推奨文など見かけて、薦めてる人の感性にもある程度以上は信頼がおけそうだったから気になって。
ビデオクリップがいくつも見られるようになっていたから、それを軒並み見たところ。
いっとき著しく凹みました。(汗
素晴らしい感性なんですよ。
サウンドは徹底してバンドサウンドで、僕の好むシンガーソングライター的な息吹のものとは違うけど、作詞作曲はg&voの五十嵐隆という人が独占でやってて。
詞はあまり聴き取れなかったけど、バカな詞だったら絶対にこうは歌えない、というのがわかるようなボーカルだった。
でも救いは、そうしていくつものビデオクリップに圧倒された後で自分の“ほの白む空の祈り”を聴いたら、「負けてない」と思えたこと。(笑)

いや、もちろん負けてるんですよ。純粋に音源として聴けば。
相手はプロだし、徹底してバンドで編曲して、ほとんど完璧な演奏を、最高レベルのエンジニアの下で録って、しかも宇多田ヒカルと同じプロデューサーが担当してる。
ただ、そういう普通の意味でのレベルとは別に、僕が聴く「音楽の向こうから聴こえてくる感性」みたいなものには、べつだんがっかりするほどの差はなさそうだ、と感じた。
自分でいうのも口幅ったいけど、なにしろこれはたぶん僕自身にしかわからない、僕だけが感じるひとつの絶対的な基準で、ここでどうにもならないと思ったら音楽を続ける意味はない、というような決定的な物差しだから。
その意味ではとても安心しました。
といっても、その僕の僕による僕のための物差しに照らしても、「勝ってる」とまでは思えないくらいに五十嵐さん凄そうだったんだけど。(汗

ツタヤとブックオフでCDも探してみるつもりです。
ちゃんと詞を見ながら、10曲20曲通して聴いてみたいし。
それでも定価は嫌なわけだが。(ボソ
03:13 | 音楽批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Mon.

「かわいい」だけでは伝わらないこと

きのう映画「ねじ式」を見た余勢を駆って、とある社交サイトの「つぐみ」さん(「ねじ式」に出演していた女優。映画「贅沢な骨」とドラマ「スカイハイ」でも見た)のコミュニティに参加だけしてみようかと思ったけどやめた。
なんだか、そこの掲示板には5行に1回くらい「かわいい」って単語が出てきてて、ちょっと雰囲気違うなあ、と思ってしまったから。
かわいいのは結構だけど、せっかく何か書きたいと思ったんなら、なんでほかの言葉も使おうとしないんだろう。
「かわいい」とか「きれい」だけなら、代用はいくらでもいるはずで、それだけのこと。
本当に好きなら、なんで代用の効かないよさを語ろうとしないんだろう。
僕なんぞは、特別熱烈なファンってわけでもないからいいんですよ。
でもなんだか、熱心に書き込みしてるファンほど、かわいい綺麗カッコいい、の3点セットしか離れられなくなってる気がして。
見ていて物足りなくなってきてしまった。

僕は普段テレビを見ていても、冴えてると思う人がいればなるべくマメに名前をチェックしておくことにしてる。
「つぐみ」さんのこともそうして知った。
バラエティ番組だろうとただのCMだろうと、いまどき検索すれば一発だし。
そういう人が将来なにかの形で出てきたら面白いし、たとえ出てこなくても、どこかで見かけて「ああそういえば、そういう人いたなあ」と思い出したいから。
ちょっとヘンかな。(汗
けど、そういう彼ら彼女らにしても、ファンに恵まれてるかどうかは本当に人それぞれなんだろうなと。
キツい言い方かもしれないけど、そう思ってしまった。

僕がこよなく敬愛するシンガーソングライターの川本真琴という人も、たぶん人気がピークだった頃というのは必ずしもファンに恵まれてばかりもいなかったと思う。
素晴らしいファンも多かったはずだけど、「かわいい」というだけの人も多かった。
ただ最近は、独立自営(?)で音楽活動しながら、かつてよりずっと少数のファンに支えられてる状態みたいだけど、ファンの質とい、のは多分ずっと高くなってると思う。
「かわいい」に終始していた人たちが離れていって、少数が残って。
さらに少数の、彼女のよさを発見した若いファンもついてきて。
そういう生き残りのファンたちの多くは、自分なりの言葉で川本真琴のよさを語ることを知っている。
そのことは、川本さんにとってとても幸せなことなのじゃないかと思う。
もしくは1ファンとして、そうであってほしいと願っている。というか。

もちろん本人たちが、そういう毀誉褒貶をどんなふうに見ているか、そもそもそんなことを気にかけるような人たちなのかどうかは、こっちにはわかりようもないことだけど。
やっぱり、ファンに恵まれてる人は幸せなんだと思いたい。
そして、僕がわざわざ調べて名前を記憶してるような人たちも、ファンに恵まれてることをつい、祈ってしまうし期待してしまう。
「つぐみ」さんにも、間違いなくすごい魅力があると思うからこそ、僕は不満を覚えてしまったわけだし。
もっとちゃんとよさを表現しましょうよ、ファンの人たち。
つぐみさんに悪いよ。と。
15:39 | 人生観 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Mon.

道しるべ

さっき風呂に入っていてなんとなく思ったこと。
人間は、どんな事情があろうと何歳になろうと、路傍の道しるべになってしまってはダメだ。
道しるべっていうのは、表書きが「元町3丁目」だろうと「富士8合目」だろうと、しょせんは他人の目印であって、通り過ぎられ越えて行かれるものだから。
「あの人に認められたら俺も一人前だ」なんて言ってもらえたとしても、それでいい気になってたらとんでもない話で。
そこで立ち止まっていれば、いつか追いつかれて、彼を認めざるを得なくなる。
そして次の瞬間には置いていかれるだろう。
どんなにボロボロになって、渋谷駅構内の賢者になろうと、または何かで名を成して、巨大な哲学的存在のようなものに化けようと。
止まっているものはしょせん目印であって、「過ぎ越して行くべきもの」だ。
道しるべに終始している人には、やっぱり魅力はないと思う。
00:45 | 人生観 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sun.

サッカー・ユース日本代表を斬る

7時からユースサッカーを見ていたところ、延長~PK戦とフルにやって、それでこんな時間になってしまった。
なんとか勝ったからいいようなものの。
カタールは強かった。というよりむしろ、やっぱりこっちが弱かった。
中盤以降に人材がいない、とこのあいだ前の試合までの印象で書いたけど、最大の問題は中盤の、特に攻撃的MFかも。

ただでさえ3バックで2ボランチ、両サイドにウイングを置いてトップ下は1人、ってフォーメーションだから、攻撃的MF(トップ下)の質は4-4-2のとき以上にダイレクトにチーム全体の攻撃力に影響してくる。
兵藤はずいぶん持ち上げられてるけど、残念ながら中田・中村・小野はおろか、小笠原や、さらには松井ほどのポテンシャルもないと思うよ。
器用でたぶん性格がよくて、それにたぶん頭もよくてボランチも勤まる。
というのが彼の現時点でのよさなんじゃないかと推測してる。
そういう選手が、ベストメンバーとしてトップ下に出張らなきゃならないってところに、あの年代の辛さがあるような気がするね。

その後ろに控えるボランチに、稲本・中田浩二・阿部みたいな攻撃的パスセンスを兼ね備えた大器がいるのならまだいい。
でもどうやら、そういうわけでもない。
中盤には慢性的にキープ力がなくて、結果的に試合を支配できる時間が歴代の代表に比べて極端に短い。
まだ化ける余地はあるにせよ、あの中盤はキツいと思うなあ・・・。
ようやく出場権を勝ち取った世界ユースの本番までに、なんとかあの穴を埋める人材が見出せればいいんだけど。
22:13 | スポーツ | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sun.

サスペリア2はダメ

サスペリア2を見てみたものの、1に比べると全然でした。
1が純然たるホラーだったのに対して、2はホラーなんだかサスペンスなんだか、はたまたスプラッターホラーなんだか、よくわからない中途半端な作品になってるように感じる。
少なくとも僕には、この作品をどういうふうに楽しんでいいんだか、最後までよくわからないままだった。

さらにいうと、この作品には土台がない。
雰囲気だけは1と同じ「サスペリア」なんだけど、1には「ヨーロッパ古来の黒魔術文化」という背景が濃厚に流れていたのに対して、2にはそれがなく、その代わりになるものも何もないようだ。
僕としては、せっかく2を作るのなら、現代社会の狭間に潜む魔術的な闇、という線は外さずに作ってほしかった。
それこそが1で確立されたはずの「サスペリア」世界の個性であって、ただのおどろおどろしい殺人事件を軸に据えてしまった2は、「偽」サスペリア程度にしか見えない。
おまけにヒロインの個性の描き方があまりにも素朴すぎて面白くなかったし。
ところどころに出てくるコミカルな描写も、だだ滑りの蛇足だった。

まさに雰囲気倒れ。
わずかなスリル以外には、何も感じられない映画でした。
続きを読む
16:59 | 映画批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Fri.

鬱の嵐の吹き抜ける夜に

・・・まずい。
急激に鬱になって眠れなくなって、居ても立ってもいられなくなって起き出してしまった。
こういうときに考えるのは、もう手遅れなんじゃないかってことだ。
10月になる(というか、もうなってる)ことなんか思い出すんじゃなかった。

そういえばニートに関する議論。
日本にニート52万人、というけど、あれはあまり真に受けないでもらいたいね。
僕と同様、いろいろの現代病に取り憑かれて、死ぬ思いして孤立して、周りの理解も充分には得られないまま苦しんでる連中も、あの中にはとうぜんカウントされてるはずだから。
かくいう僕自身も、たぶん統計上は「ニート」の中に入る。
52万人が、「52万人」じゃなく、本当は「1+1+1+1+・・・」の総和だってことを忘れないでほしい。
一括で対策を立てようなんて考えるのは、政府や公共団体だけで充分だ。
訳知り顔でもっともらしい議論なんか、もうやめにしてほしい。

僕自身の手遅れ感についてだけど、それはやっぱり、たとえばWさんの能力が仮に掛け値なしの本物で、半年後や1年後にほぼ完璧に健康な肉体を取り戻したとして、いったいそこから僕は何ができるのか、とか。
いくら身体が治ったって、僕が持病に取り憑かれた中2の夏休み明けにまでタイムスリップしてやり直せるわけじゃない。
いったい何をどこまで取り戻せるっていうのか?
なんてことももちろんその1つだ。
いやそれどころか、治ったが最後必死で生活を立て直すために就職活動して、働いて、必要な資格があれば勉強して、・・・という、まるで社会復帰のためのリハビリみたいな惨めな暮らしが待ってるだけじゃないのか。とか。

こういう見通しはあまりにもネガで卑屈に映るかもしれないけど、でも考えてもみてほしい。
僕には物心ついて以来、健康な身体で生きていた時期というのがないんだよ。
健康な身体であれば、こんなことができるとか、そもそもこんなことが「したくなる」、ということが、感覚的にまったく理解できてない。
生きていたくなるものだろうか?強靭な意志の力と、自分自身への罵倒、激励といったものなしで?
僕は無理に無理を重ねて、無理ばかりしてきた、とこれまで飽きもせず書いてきてしまったけど、実のところ「無理をしてない」状態がどういうものなのか知らない。
無理があるのが当たり前で、無理を押して何かしているのが常態だった。

そこからどういうふうに価値観が変動していくのか、がわからない。
変動しないとすればそれはまた新しい地獄ってものだけど、Wさんにいわせればそういうものではないらしい。
身体と心は連動しているのであって、大きくいえば、性格そのものが変わってしまうらしい。
しかしそれは本当なのか?
いやつまり、一般論としては紛れもない本当のことだとしても、こう十数年にもわたって刷り込まれた虚無感が、きれいに雲散霧消して生きていけるものなのか?
雲散霧消は大げさとしても、気になって身動きがつかないような圧迫としては存在しなくなるものなのか?
疑念と不安は尽きることもなく。

忘れろ、やめろ、眠ってしまえ、と自分に言い聞かせても、思い出す流れに乗ってしまえば自分ではどうしようもない。
呻いてるか、ときどき叫ぶとかするか、してもがき続けなきゃならない。
それがあまりにも辛いから、今はこうして書いてる。
せっかく今日はわりとポジな記述を並べていたのに台無しだけど、しょうがない。
これが実情だから。
僕は顔を合わせる人たちや町行く人々に真人間だと思わせるのはとても上手だ。
というか、これまでの生活の中で熟練している。
でも薄皮一枚めくればこんな状態だ。
気も狂わんばかりに苦しいのを、ポーカーフェイスその他で包みきって、ここまで生きてきただけだ。
そのことを思うと、自殺衝動に似たもの(けれども、明らかに似て非なるもの・・・僕には自殺するという素質がそもそも欠落しているように思う)がこみ上げてくる。

なんて不毛な。
選択の余地はなかったけど、ここまでどうしようもないものだと知っていれば、僕はある段階で死を選んでいたかもしれない。
僕は幸か不幸か、人生のそのときどきには、どこか根の部分で楽天的だった。
どこかで好転するものだと信じてきた。
たとえば、2年近く前に今の治療法を始めたときなどは、その楽天的の最たる状態だった。
でも今は苦しい。
可能性を信じていないわけではないけど、過ぎていく1秒1秒の重みが苦しい。
それを、せめて人並みに生かし切ることは、今の状態ではまだまだ、とてもできない。
できないのだから焦るべきではないのだけど、それは机上の空論というもので、ちょっとした拍子に気が狂いそうな焦燥に駆られてしまう・・・。

どうも同じことばかり書いているような自覚があるけど、堂々巡りというのもまた鬱状態のときの1つの特徴で、驚くには当たらない。
だけどまあ、そろそろやめにしようか。
いくら書きなぐってみたって、これを読んでくれるのは僕の窮状をある程度まで理解してくれている理解者の人たちだけだろうし。
その人たちにとっては、痛いだけであまり新しい発見もない文章だろうし。
書いてると気が紛れるってだけではね。
あまりにも自己満足すぎるってことになるだろうから。
こうなったらもう、4時半からのメジャーリーグでも見てやろうかな。
まったく、根がくたびれる運命を生きている。
04:08 | 病的独白 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。