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Mon.

中村勘九郎の謝罪会見

何かの芸能ニュースで、息子の不祥事についての中村勘九郎の謝罪会見を見た。
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/jiken/news/20050131k0000m040056000c.html
しかし人格者だねえ。勘九郎。
こういう場になると、普段しっかりしてる人でも何を言っていいのかわからなくなって、言葉が本音でなくなり、魅力もクソもなくなってしまうケースが多い。
その点、この人は片言隻句に至るまで本音で、こういう問題になると容赦のないはずの芸能マスコミさえ静かに礼儀正しくなっているのが面白かった。
もちろん、そうそう踏み込めないくらいの有力者だっていうのが第一だろうけど、場の空気が決して批判一色にはなってなくて。
勘九郎の人望だな、と思った。

不祥事を起こした息子にしたって、酔っ払ってたのをいいことに3時間もタクシーで連れ回されていた可能性もあるみたいだし、もしそういうことだったとすれば怒るのも無理はない。
仮にそうだとしても、殴った相手が当のタクシー運転手じゃなく警官だったのがなんともまずかったわけだけど。
ただ、この人は顔を見てもそんなに悪くないし(たとえば三田佳子の息子のように、一見して人格の崩れが見て取れるような愚物の顔とはほど遠い)、多分どうってこともなく立ち直れることでしょう。
三田なんとかとは逆に本人が繊弱過ぎて、この件でビビりきってしまったら別だけど。
スパッと一言謝って、あとはそ知らぬ顔して再出発してくれたらいいなと思っています。
がんばれ。中村なんとか。
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17:09 | 雑談・座談 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sun.

パイレーツ・オブ・カリビアン

パイレーツ・オブ・カリビアンを見ました。
まあまあ、つまらなくはなかった。
でも、それ以上の感想は特になし。
何よりも、コメディ的な要素が過剰だと思う。
中でもそれが滑ってると感じるのが格闘アクションシーンで、そういうところにこだわるのは僕にしては珍しいのだけど、せっかくの迫力のある殺陣の中で片っぽがぽーんと天井の梁に放り上げられ、もう1人も続いて放り上げられて、今度は天井の梁の上で斬り合いが始まる、なんて描写は僕の美意識からいったらまったくの蛇足。

たぶん、「コメディ・アクション」ではない方が僕はよかった。
「ホラー・アドベンチャー・アクション」くらいのバランスの方が、霧に閉ざされたカリブ海で蠢く呪われた海賊たち、という作品のテーマが引き立ったんじゃないかな。
それじゃ普通じゃん、といいたくなる人もいるかもしれないけど、その「普通」が実はあまりないからこそ、ど真ん中直球の海賊ものアクションとしてこの作品は出てきたはずなわけで。
なんでもっと徹底しなかったのかと思う。
そういう雰囲気にしたとしたって、作品のムードメイカーであるビジュアル系海賊のキャラはあのままで大丈夫だし。
あと、ヒロインの女は、僕だったらあの女優は起用しない。(笑)
だいたい、イギリス人のお偉方の娘だけどじゃじゃ馬で、というふうには全然見えないんだよね。
あれじゃ、ただのヤンキー娘じゃん、ってふうに見えてしまう。
僕は演劇のたぐいには詳しくないからわからないけど、あれはキャスティングおよび、女優個人の役作りの問題なんじゃないだろうか。
演出とか脚本とか、監督がどうの、という以前の。
そんな気がした。

この作品の取り柄は、映像の美しさと、ビジュアル系船長のキャラと、卓抜なBGMおよび音響効果でしょう。
それを抜いたらもう、びっくりするほど何も残らない。(笑)
エンターテイメントにも格調というものがあると僕は思っているのだけど、この作品はそういう意味では残念ながら低いね。
上に挙げた3点で格調らしきものを繕ってはいるものの、コメディ寄りかホラー寄りかという重大な分岐点で間違った方を選択しちゃったように思えてならない。
ホラー寄りにしておけば、「恐怖」という人間の感情的な要素を扱う都合上、もう少し人の心の動きなんかも作り込まれたリアルなものになってただろうと思うし、そうなれば脚本自体も多少は違ったものになっていたはず。
見事な世界観だったのに、まったく惜しいことをしたものだと思う。
17:21 | 映画批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Fri.

劇場版 機動戦士ガンダム

ヤフー動画の劇場版ガンダム、ぶじ3日連続で三部作を見終えました。
第1部を見た段階では、むかし見たときの方がよかったみたいなことを匂わせていたけど、そうでもなかった。
やっぱり素晴らしいです。初代ガンダム。
改めて皆さんにお薦め。(笑)
http://streaming.yahoo.co.jp/ch/bandai/program/program?c=bch&k=10002
再三いってることだけど、これはそこらに溢れかえってるロボットちゃんばらアニメじゃなく、人間ドラマなのです。
挿入歌の古くささだけは覆いようもないけど、ほかの点ではまったく名作の名に恥じない。
まさに特別な作品だと思います。


しかしあのリアリティ。
ここでいうリアリティとは、よくいわれるメカの精密さとか、SF的世界観の作り込み、っていったレベルの話ばかりではないのですよ。(すまし顔
登場人物の心の動き、すれ違い、つながり、といったもののリアリティ。
ジオン軍は悪、ではない。
連邦軍は正義、でもない。
今のどこかの国の大統領も、子供時代にああいうハイレベルな日本アニメでしっかり情操教育をやっておけば、あんな頭の悪いヒトラーみたいな何一つトリエのないバカキャラとして歴史に名を残すこともなかっただろうに。

物語の中で、試作品の寄せ集めであるホワイト・ベース部隊は、正常な部隊編成に繰り込まれる暇もなくあちこちの戦場に駆り立てられ、その中で奇跡的な戦果を挙げ続けていくわけだけど。
そうした主人公たちの立場上、後に1年戦争と呼ばれることになるこの戦争の全貌については、主人公たちと同様、実はわれわれ視聴者も、完全に把握できるわけではなく。
転々と変わる上層部の命令のままにあちらに飛ばされこちらに飛ばされしながら、目の前に起こる事態への対処だけに忙殺されていくことになります。
でも、そんな中でも、人は生きて死んでいく。


そして、たとえばあの雑魚キャラの代名詞「ザク」が、いかに戦争のあり方を変えた革命的兵器だったか。
その発展的機種として次々と試作され、たちまち量産されては戦線に投入されていくグフ、ドム、ゲルググなどがいかに画期的かつ現実的なコンセプトに基づく恐るべき兵器だったか。
そうしたごく現実的な描写を重ねる中で、戦争の情景は短い日々の間に容赦なく変わり、激しさを増し、当初は圧倒的だった試作新兵器ガンダムの特殊性・優越性も、物語が進むにつれて徐々に鋭さを失っていく。
そういう中から鮮烈に浮かび上がってくるのは、個人の存在や思いがいかに小さく無力で、でも生き残った者たちの心に鮮烈な印象を残すものか、という事実。
これ以上は、ネタバレになりすぎるので僕は書かないけど。

見る価値は必ずあります。
ハマる人は本当にハマるだろうと思う。
間違っても、この作品の続編のシリーズや愚にもつかないノベライズド本を見て、この初代ガンダムまでバカにしてかからないように。(笑)
まったくの別物というか、これはもう、奇跡的な結実というべき名作なんだから。
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23:32 | 映画批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Mon.

映画「エレファント・マン」を見る

たった今まで「エレファント・マン」を見てました。
よく作ったものだなあ、というのが第一印象。
奇形に限らず、不幸かつ数奇な境遇の人間を描いた作品の多くは、その奇形性や数奇性の描写をほどほどに留めて、万人受けする安全なヒューマン・ドラマに終始していることが多いものだけど。
この作品の「象男」ジョン・メリックは、そうじゃない。
白黒画面だからまだしもだけど、カラーだったら、さらには本人に面と向かって座られた日には、悲鳴を上げたくなりそうな無残な姿。
その絶対的な奇形性を大前提に置いて、そこから語り起こすあたりに制作側の熱意を感じました。

そして物語は、奇形の人間が無条件に人々に受け入れられていくような予定調和の幸福を歌い上げるでなく、かといって絶望に落ち込むでなく、ただ小さな希望だけを残して終わる。
僕は人や作品を語る上で「尊厳」という言葉をよく使うけど、奇妙なことにこの作品からは、人間の尊厳なんてものはべつだん伝わってこない。
19世紀末のロンドンに実在したというこのジョン・メリックは、哲学的というよりはむしろ詩的な感性で、与えられたものを素直に喜び、小さな安らかな満足を胸に生きようとする。
その満足は、僕のような俗っぽい人間にとってはなかなか想像しがたいものだけど、見ていて何の無理もなく美しい。
現実のこの人が果たしてここまで周囲の人々に愛されていたかは知る由もないけど、少なくとも映画の中のジョン・メリックが、あれだけの奇形にもかかわらず数少ない友人たちに愛されていたことは、当然のことのように映る。
いってみれば、尊厳という社会的な何かではなくて、彼はただ、彼らしく生きていた。
その結果として小さな満足と充足があり、幸福があった。
そういうことなんだろうと思う。


もちろん現実として、彼には大それた夢を見る余地がなかった。
内輪での小さな充足が、残酷なことだけど彼が夢見られるほとんど絶対的な限界だった。
そのことももちろん、ああいう人間性が形成されていく上での1つの要素ではあったのだろうと思う。
少数とはいえ、信頼できる友人たちに好かれ、気づかわれて、でも生活のほとんどを病院の一室で静かに生きていく日々。
彼は間違いなく、幸せだったのだろう。
でも、たとえば僕なら、耐えられない。ということを思う。
耐え難さにもがき、必死で自己実現を図り、その必死さゆえに友人を失ったりしながら、それでもなおもがくだろう。
その結果、彼のように愛されることもできなければ、自足することもできないまま一生を終えるかもしれない。
何がいいのかはわからないけど、僕は現実として、彼のようにはなれない、と思う。
境遇の格差はいうまでもないことだけど、それを抜きにしても多分、彼の感受性や生き方は、僕にとって真似しようにも真似られるものではない。

ただそれでもなお、このジョン・メリックにはリアリティがある。
実在のジョン・メリックはもっと複雑に悩み苦しみ、気難しい顔をして生きていたかもしれないけど、映画のジョン・メリックも決して浮世離れした架空の善人ではない。
僕が彼から学ぶべきことがあるのかどうかとなると、それはわからないことだけど。
人間の型が違うといえば、多分それっきりのこと。
でも彼の人格は美しく、人に愛されることを知っているし、与えられたものに満足して感謝することを知っている。
そのことはたぶん、人として幸せなことなのだろう。
僕の心に残ったのは、奇形の人々の行列が森の中を歩いてゆくシーン。
そして、波止場でジョン・メリックを見送る侏儒の男の笑顔。
「幸運を。・・・俺たちにはそれが必要さ」


しかし、若き日のアンソニー・ホプキンズが出てると知って、てっきり象男が彼なんだと思っていたら、若い医者の方だったとは。(笑)
エンドロールで初めて知った。
「羊たちの沈黙」のレクターのイメージとはずいぶんまた違うなあ・・・ハンサムだし。(ボソ
俳優の化けっぷりって怖い。
平凡だけど正義感に溢れ、ときにはそれを過信し、しかしふと立ち止まって、自分は偽善者だろうかと自問する。
あのおとなしげなエリート医者がまさかレクターとは。
まったく、・・・よく化けたもんだ。
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03:49 | 映画批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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