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Wed.

西原理恵子「毎日かあさん」を100%擁護する

あまり書き言葉としては見たくない言葉だけど、今日は遠慮なく使う。
「馬鹿はこれだから嫌いだ。」
「『毎日かあさん』論争、表現の自由か教育的配慮か」

 問題となったのは、授業参観の場面。主人公の母親が、落ち着きのないわが子を含む児童5人を「クラスの五大バカ」と表現し、ユーモアを交えつつ、子どもの成長を見守る内容だ。
 この場面が紙面に載った直後の昨年11月、長男の担任の女性教諭(40)が西原さんを学校に呼び出し、「迷惑している」「学校を描かないでほしい」と注文をつけた。
 西原さんは翌12月、毎日新聞社の担当者と同小学校に出向き、校長らに「保護者だからといって、編集者を通さず作者を直接呼びつけるのは非常識だ」と抗議。校長らは「学校に落ち度はない」と主張したという。
 西原さんは、父母の一部から「学校とトラブルを起こすならPTA活動に参加しないでほしい」と告げられたのを機に、今年6、7月、弁護士を通じて市側に「作品はあくまでフィクション」「公権力による表現の自由の侵害ではないか」などの文書を送った。これに対し、市側は、「他の児童や保護者への配慮をお願いした」「作品中に『武蔵野市』の固有名詞もあり、児童の人権に教育的配慮を求めることは当然」などと、8月までに2回、文書で回答した。
 西原さんは「フィクション作品の内容に介入するのは納得できない。子どもを学校に預けている立場上、作品を描くこと自体をやめろと言われたに等しい」と憤る。(読売新聞)


毎日かあさん カニ母編うちはぐうぜん毎日新聞を取っているので、問題の「毎日かあさん」という漫画のことはよく知っている。インターバルの短い読み切り連載だけに出来不出来こそあるものの、全体としてとても温かい、魅力的な漫画だということは保証してもいい。

表現の自由ということについて理解の浅い担任教師が無感覚に作者の西原さんを呼び出したのをきっかけにして、学校/武蔵野市側は理も非もなく引っ込みがつかなくなっているだけではないのか。
学校を舞台にするなといたって、べつに作品中で学校名が名指しされているわけでもなんでもない。単にエッセイ的な切り口で、母の立場から子育ての喜怒哀楽をドタバタと表現しているだけだから、「エッセイ的要素および、若干のノンフィクション的要素がある」という一点を除いては、要するにただの質のいい連載漫画なのだ。

彼らの主張は、ほとんどフジコフジオに向かって「本当の学校では、あんなに0点は付けません!」と詰め寄っているのと同断だ。あるいは、「『ノビタ君』とあだ名を付けられていじめられる子が出ている」とか。そんな支離滅裂さ加減で「迷惑している」「学校を描かないでほしい」も何もない。これが表現の自由を侵害する職権濫用でなくて何だというのか。
重大な問題だと思うのであえていうが、この手の感受性の欠落した担任教師などは子供の成長に害悪をなすだけで存在意義はまったくない。報道の内容に誤りがないのなら(←ここは非常に重要な前提。以前も以後も同様)、もう子供を教えるなどという不似合いな真似はやめて引退してもらいたい。


また、中立の立場で仲裁に回るべきところをそうせずに、「学校に落ち度はない」と言ったという校長、さらにその校長を支持する武蔵野市の公僕連中には、果たして学校生活を取りまとめる職責を果たすだけの問題処理能力があるといえるのか?こちらももちろん、読売新聞の報道に名誉毀損レベルの根本的な事実誤認がある、というのなら大いに反論すればいいだろうが、そうでもない限り、さっさと辞表の準備でも始めた方がいい。
表現の自由をスポイルするどころか、むしろ大いに伸ばすのが教育の責務だ。報道内容を見る限りにおいては、彼らの行為はほとんど、職責に対する反逆に等しい。

さらにまた、「学校とトラブルを起こすならPTA活動に参加しないでほしい」という立場に組して、あまっさえそれを西原さんに直接告げたと思しき「一部の父母」。もちろん圧倒的に少数派だろうとは思うものの、彼らはいったいどういう教育をわが子にしている連中なんだろう。たとえばわが子がクラスではみ出したとき、彼らは何と言って手を差し伸べることができるというのか?
こういう種類の馬鹿はこの世から消えてほしいと切に思う。
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18:06 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Mon.

Mizを聴き、東京エスムジカを想う

このあいだ映画「スクリーム」と一緒に借りてきたMizの「Say It's Forever」、何度かCDで聴いてみて、さらにきょう初めて70分ウォーキングのお供にMDで通して聴いてみたところ。
期待が大きかっただけに、正直ちょっとガッカリ。洋楽ロック、なんだよなあ・・・それ以上でも以下でもない。
1曲目の「New Day」という曲が、少なくとも曲自体の素質としては特別に素晴らしい曲で、僕はこの曲をテレビCMを通じて何度か聴く中で、Mizには期待するようになっていた。特に精神的にネガになってるときの僕はたまに、ああいう透明感溢れる女性シンガーの曲しか受け付けないコンディションに陥ってることがあって、まさにそういう時期にだいぶそのCMを聴く機会が多かったこともあって、かなりの好印象があらかじめ刷り込まれてあったんだけど。

残念ながら、その期待には沿わない音楽だった、という結論がはやばやと出てしまった感じ。特に僕独自の、高度に個人的な、いわばシンガーソングライター的な要素にしか反応しないらしい一番大事なアンテナにはひとかすりもしなかった模様、でした。


World Scratchシンガーソングライター的うんぬんといえば、だいぶ前に何度か触れた東京エスムジカ「World Scratch」は、逆にそういう意味で聴けば聴くほどに評価が上がる不思議なアルバムだった。
不思議というのはつまり、彼らは個人ではなくてグループだし、作詞作曲ボーカルも担当がバラバラで、構成からすればシンガーソングライター的もヘッタクレもない組み合わせのはずだから。
だから当初は、ずいぶんいい音楽を創っているようだけど、彼らはシンガーソングライターじゃないし僕の場合はきっと聴き飽きるのが早かったりするんじゃないか、なんて経験的な不安が付きまとっていたんだけど、どういうわけか、彼らの音楽は聴くほどに心が動くし、新しい発見があって興が尽きない。ここ何年も「ヘビーローテーション」なんて言葉とは縁が遠かったけど、これは久方ぶりのヘビーローテーション盤になった見事な一枚でした。

だからどうやら、僕が大事にしている歌のシンガーソングライター的な要素というのは必ずしも、合作や作為によっては出しえないものじゃなかった、ということにはなりそうなんだけど。
このアルバム(「World Scratch」)でいえば、あからさまな名曲である「月凪」はもとより、自分自身の内なる少女(少年)に語りかけるような「Vida」なんかも、微塵も嫌味なく、ただ心のままに伝えようとする力があって魅力的。民族的な響きの旋律・編曲や、それを反映したスケールの大きな歌詞さえも、そういう情緒を少しも損ねてはいなくて、ただ独特で美しかった。
ここ数日聴いていたMizや、シェリル・クロウばりのアメリカンロックを聴かせるラブ・サイケデリコや、洗練されたちょっとジャジーなポップチューンの中島美嘉、あたりには僕はそういう意味での美しさはまったく感じないから、ここには何かの根本的な違いがあるはずなんだ。
単なる好みとかそういうレベルの話じゃなく。


ちなみに、そういう美しさをまったく感じないときにはどうなるかというと、僕はなかなかその音楽をカッコいいとは感じないし、カッコいいと思って聴いてみても、今回のMizのように自分でも「あれ?」と首をひねるようなあっけなさでたちまち聴き飽きてしまう。
逆に、それを感じられるアーティストが東京エスムジカ以外で誰と誰なのかといえば、同意を得やすそうなところでいえばコッコや初期スガシカオ、ジョン・レノン、といったあたり。逆に反論を食らいそうなところでは川本真琴、あたりが筆頭格です。
結局のところ、Mizはあの曲のあまりの美しさと透明感に期待してしまったけど、根本的に僕が求めている個人的な歌なんかではなかったな、というのが今回の「ガッカリ」の内容でした。惜しいとか何とかじゃなく、そもそもそういう方向性を目指すミュージシャンではないようだった。
僕の望むところが特殊なのであって、Mizがよくないとかじゃないのは当然としても。
03:35 | 音楽批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sat.

超能力少女ナターシャにまつわる一抹の疑念

すごく興味深かった記事。
「『アンビリバボー』超能力少女ナターシャの実験に立ち会ったゾの巻」
博学を誇るオタクSF作家・山本弘さんのサイト「山本弘のSF秘密基地」より。・・・どうやらオタクを誇りにしている方のようなので、この紹介文に苦情が来ることは多分ないだろう。(笑)
(※リンク先テキストの内容は具体的かつ、非常に多岐に渡っているので、抜粋引用なんて器用な真似はできそうにありません。リンク先に飛んで、逐一読んでみてください)

この番組、実はけっこう注目して見てました。それも好意的に。
それだけに、舞台裏でこれだけのことがあった(らしい)、ということは大きな驚き。
もちろん、アンビリバボー・サイドに作為の余地があるのと同様に、リンク先の記事を書いている山本弘さんにも作為の余地があるわけだから、絶対にどう、なんてことはいえない。ただ僕も文章を読み慣れている人間として、書いている人間の確信の強さや込められている誠意の程度くらいは読み取れる自信を持っている。その自信に従っていうなら、リンク先のレポートにはほぼ片言節句、嘘はないだろうと思う。
フジテレビの編集による演出はもとより、ナターシャの魅力に少し、踊らされているかな。われわれ視聴者は。
彼女は実際、とても魅力的な人間だから。

でもだからといって、当たり前だけど人間的魅力がすべてを正当化するわけではない。
たしかに、せっかく科学的思考を大事にしつつ医師を志したりしているのなら、自分の能力を検証し分析してその実質を明らかにすることに、もっと主体的であってもいい。自分の不思議な能力は、これはいったい何なんだ、という一点に、もっと関心を持った方がむしろ自然なのであって。「不思議な能力があるならそれを役立てるべき」という彼女の言葉は優等生的発言に似て、実は詭弁、とさえいいうるかもしれない。

※※※※※


ついでに、これもすごく面白かったのでご紹介。
「第14回日本トンデモ本大賞受賞作 人類の月面着陸は無かったろう論」
ただしこちらはナターシャのように魅力的ではない。笑いを通り越して不快になる人もいるかもしれないので要注意。
02:43 | 雑談・座談 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sat.

扶桑社版教科書は公共教育の意義を揺るがす

何のために、というのがいちばん気になる。
「愛媛県教委が扶桑社版採択 来春以降の歴史教科書」

 愛媛県教育委員会は26日、定例会を非公開で開き、県立中高一貫校3校(生徒数計約1440人)と県立ろう・養護学校で来春から使う歴史教科書を「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した扶桑社版に決めた。
 県教委は定例会終了後に会見し、井関和彦委員長が「日本独特のすばらしい文化や歴史上の人物を多く取り上げてあり、生徒が歴史に対する関心を持てる」と採択理由を説明。「子どもたちが自国に誇りと愛着を持ってほしいとの願いを込めて選んだ」と話した。
 委員6人の全会一致で決定。議論で委員からは「事実の羅列ではなく物語風に書かれ、生徒の興味を高める」「文化、人物の記述で質量ともに他社より優れている」などと扶桑社版を評価する意見が出された。反対は全くなかったという。(共同通信)

事実を淡々と伝えるだけの記事内容だけど、教科書採択を主導した勢力は何と言っているのかを聞いてみたい。こんな口先のおべんちゃらやおためごかしのたぐいじゃなく、歴史歪曲と批判される教科書をことさらに採択するということについての正面切った本音を。
もちろん、何がいいのか、なんてことはわからない。現代中国のように、国民にある種の予断を植え付けて、それによって国論を統一し他国に当たろうとするのも教育の歴史的な機能の1つだろう。日本もまた、そうすべきだ、というのが扶桑社サイドの主張なら、それはそれで一企業としての論理的な趣旨は通っている。
ただ、公的な機関がそういった一企業、ないし一団体の主張に肩入れするとき、民主主義国家における公共教育の存在意義は地に落ちる、と僕は思う。

手短に結論をいうなら、2通りの教科書があり、片方が歴然と一定の予断を持って編まれているとわかっているとき、公共の教育機関はもう一方を選ぶことをもって良識とするべきだ。中国の独善的な歴史教育は、たしかに聞けば聞くほどに噴飯モノの可笑しさだけど、だからといって日本もまたそれと同レベルに成り下がって子供の喧嘩をしようというのはいただけない。
そういった偏狭な民族主義的視点に、公共教育もまた立とうとするなどはまさに論外としかいいようがない。
02:27 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Tue.

GOIGOI急逝後初のsakusakuを見て

GOIGOI


♪Name Of エビ・・・
 NaNaNaNaNaNa... (©sakusaku増田ジゴロウ)






あの歌を聴いていて、GOIGOIをはじめとするスタッフたちが築いてきたsakusakuは、やっぱり素晴らしい番組だったんだと思いました。
番組の冒頭、GOIGOIの件について発表を始めたヴィンセントが話半ばで言葉に詰まったときには、ひょっとしたらこのまま、彼の死については明確に触れずに「降板」という形を取るのかとも思ったものだけど。そうだとしても、エンターテイメント番組としては仕方のない一面もあるかもしれない、と思いながら見ていたら、やっぱりsakusakuはsakusakuらしく、事実は隠すことなく。
DA・米はBGMも流れない中をいつものようにちっちゃなスクラッチの手振りで登場して、しんみりしがちな場を盛り上げ(?)て。最後にはみんなで、GOIGOIが生前住み、こよなく愛したという海老名の歌を歌って、精一杯のお別れとなりました。

「私なんかはねえ、6(8?)年くらい、一緒にやってるんですよ。だからもう、なんか本当に自分の身体の一部がなくなっちゃったみたいな・・・」(黒幕)

愛されてる人は、死んではいけないね。
決してある種のアイドルのようにむやみと涙を流す人ではない木村カエラも、泣きながら歌って、最後は懸命に笑って手を振って、そうして番組は終わった。GOIGOIは愛されていたんだ、ということがとてもまっすぐに伝わってくる幕切れでした。
そしてGOIGOIがいつもいた画面左下は、今日のところは空っぽのまま、代役はいなかった。遅かれ早かれ、浪人生か誰かが同じ場所に座って番組の進行を助けるようになるんだろうと思うけど、今日のところは。
こうとなったからには、しばらくの間、sakusakuはGOIGOI生前の輝きを取り戻せないだろうと思う。でも、それをいつまででも待ちたいと思ったサクサカーたちも、決して少なくはなかったんじゃないかな。
僕自身がそうであったように。

GOIGOI・木村カエラ・ジゴロウ
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01:35 | 雑談・座談 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Thu.

ニュース斜め読み

死んで詫びるべき存在。
YOMIURI ONLINEより、「校長、男児の足首持ち逆さづり…暴言吐かれたと勘違い」
いや、死んで詫びるべきとか何とかいう以前にもう、・・・実際、死ね。(ボソ
この校長がどこかの路傍で誰とも知れない犯人に撲殺されていたとしても、僕は眉ひとつ動かさない。
たとえ万一、この児童が本当に暴言を吐いていたとしても関係ない。言ったとか言わないとかいう論点自体がズレている。バカな教師の犠牲者になったこの児童の心的外傷が心配だ。
生きているべきじゃない人間というのもこの世にはいる。


SHUNSUKE痛快の一語。
「初アシスト俊輔に地元紙最高評価『7点』」
もともとデビュー当時から、ファンタジーという意味では世界屈指で中田や小野を大きく凌ぐ、と評価してきた選手。ただ線の細さゆえになかなかハイレベルな試合の中で柱になりきれないきらいがあるから、今後マークがきつくなるにつれて輝きが失われていってしまわないかとそれだけが心配。本人は強気な発言を繰り返しているようだけど、それは意識的な部分もあるだろうし。
このままうまくいけばいいけど。


複雑。といっても、僕はデビュー作しか読んだことはない。
「盗作?:篠原一さんの短編小説、既刊漫画と酷似」
もともと、17歳のときに書いたというデビュー作の「壊音」も、僕の印象としては「村上龍の『限りなく透明に近いブルー』にとてもよく似ている」というところがあったから、微妙といえば微妙だった。ただその後もこの人はいろんな作品を発表してそれなりの地位を得ているようだったから、それ相応のものは持ってるんだろうと思っていたんだけど。
実際のところはどうなんだろう。この盗作疑惑。
本人の生な主張と、本心とを聞いてみたい。


今日のニュースじゃないけど「新党:綿貫氏ら結成 名称は『国民新党』」
このメンツ、その主張で「国民」新党とはよく言った。お前らはギャグマンガか。悪質なブラックジョークとしてならかろうじて見られないこともないが。


5打数4安打3打点1盗塁、安打4本のうち3本が2塁打という大爆発の翌日に。
「止まらない田口が2安打、連続試合安打は10に」
あの田口がねえ・・・。(遠い目
何週間アメリカにいる気だろうと危ぶんだ頼りなげな渡米から4年、よくここまでがんばったもんだよ。あの愛すべきイマイチ君(野球版)が。
ここまで根性のある人とは思いもよらなかった。
まあ本人からしたら、おだてられて渡米したが最後、抜き差しならなくなってしまって必死でがんばった、というだけのことかもしれないけど。(笑)でも仮にたとえそうでも、それはそれでご立派。
すべてを投げ出して逃げ帰ってくることなら、いつだってできたはずなんだし。
12:35 | 雑談・座談 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sun.

「ショーシャンクの空に」と「シザーハンズ」に分かれた明暗

順序としてはさっき日記に書いたPHP学習を始めるのより前、午後早い時間帯には映画を見てました。有名な「シザーハンズ」。悪くはないけど、大したことないなと思った。
みんな気づいているのかな。エドは結局、救われてない、ってことに。
彼はまた、古城の孤独に逆戻りだ。
ヒロインも、いかに現代のおとぎ話とはいっても、冷たいね。思い出にしてしまえる側はいい。彼にとっては、それから先の人生は、永遠に続く座敷牢だ。

まあそれはそれとして。
おとぎ話として割り切って見ようとする僕のもう1つの醒めた目線では、あれはあれでよくできた話だと思って評価もしているよ。エドの表情なんかの描き方が哀れっぽすぎる、という点に、異端者を自分を100%異端じゃない側に置いて安心して見てしまう人々の都合のよさこそ覗いていたものの。
たとえば最初のセールスウーマンは、僕は最初前フリ用のチョイ役の人だろうと思って、でもずいぶん魅力的な人みたいだなと思いながら見続けていたら重要人物だった。若きウィノナ・ライダーは少しばかりご都合のいいヒロイン役とはいえ、まばゆいばかりだし。エドの生みの親である老発明家の描写や、ホストファミリー(?)の父親の描き方にも魅力があった。町並みの不思議な色彩にも、現実離れしていながら心地よい生活感が漂っていて魅力があったし。

僕が先日見た「エド・ウッド」(偶然あっちもエドだが)と同じ監督らしいけど、はみ出し者を描くのが好きな人なのかな。だとしたら、そのテーマの選び方にはわりと好感が持てる。作品としては、僕は現実をごまかしたり異端者をいたわるフリして貶めたりしていない「エド・ウッド」の方が100倍好きだけど。


ショーシャンクの空にひとつには、つい先週見た、ある意味同じ現代のメルヘン「ショーシャンクの空に」が、実に珍しいことに(汗)僕の評価も世間の評価とまったく一致して「たしかに名作」だったから、それとのギャップでよけいに酷く見えたのかもしれない。「ショーシャンク」についても本当はリアルタイムでちゃんと書きたかったけど、うまく気力体力と時間とが一致しないまま流れてしまった。
でもあれは、本当に名作。僕は原作のスティーヴン・キング「刑務所のリタ・ヘイワース」(だっけ?)を中学生のころ読んだけど、原作とは比較にならないほどよくなってる。
モチーフだけいただいたのかというとそうでもなくて、記憶にあるエピソードなんかもけっこう盛られているものの、性質的にはどうやらまったく別の作品だね。
僕の記憶に間違いがなければ。(笑)

「ショーシャンク」と「シザーハンズ」はどっちも偶然、sakusakuご出演の木村カエラ推薦ってことで見ることにしたんだったけど、僕の感想としては著しく明暗を分けました。
前者には5つ星を、後者には3つ星を進呈したい。
05:31 | 映画批評 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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