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Sat.

民主党代表選挙・前原氏の選出について

菅さんを100%応援していた。が、前任の岡田よりは希望も持てる印象。
「民主党:新代表に前原氏 菅氏に2票差」
前原さんもあながち捨てたものではないかもしれない、と思い始めた2,3日前から、意識的にニュースで言動を収集してみていた。さらに今日は集計作業のあたりからNHKを見ていて、就任の挨拶も見た。
その感想としては、現時点ではもちろん菅さんに及ばないものの、そんなに悪くもないかも、と。

ここしばらくの選挙運動の間で、自分が党首になったら、ということをリアルに考え抜いたんだろうね。まだちょっと挙措に腰が低すぎる感こそあるものの、言動がずいぶん練れてきてる。
「民主党を戦える集団に~」なんて抽象的なキャッチはどうでもいいけど、「すべての重要法案に対案を」ってあたりの策は僕が岡田に対して激昂していたまさにその弱点を補おうとするもので、課題意識は共通してる。
ただもちろん、日本政界にマニフェスト選挙を導入した策士・菅さんはナチュラルにそういう方面の感覚は持っているから、べつにこの一点において菅さんより勝るというような要素ではないわけだけど。

僕としては、今回は前原さんには善戦して敗れてもらって、菅党首の下で有力なポストにフィーチャーしてもらって、菅~前原のリレーのいずれかの段階で民主党内閣、という青写真をなんとなく描いていたけど、結果の方がそれよりやや先走ってしまった。前原さんが党首で、それを(あわよくば)菅さんが後見、と。
正直、残念だけど、ただ当初恐れていたほどの失望感もない。
前原さんという人がどの程度、今のテンションを維持してやれるのか、それとも岡田同様に馬脚を顕して内向きの言動に終始しだすのか、注意深く見守りたいと思う。
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17:24 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Fri.

土井たか子の落選に思う

僕が唯一、敬意を払っている女性政治家の引退がどうやら近づいている。
「衆院選:土井たか子氏、比例で落選 進退は明言避ける」
言っちゃ悪いけど、知恵もなければ何の能もなさそうな女性政治家が雁首並べてる中で、この人だけは常に次元が違っていた。
今回の選挙は、比例名簿の扱いといい、本人自らが事実上の茨の花道として準備したかのような観があったようで、どうやらこの結果も覚悟の上。最後の最後に国会に残した置き土産が、不祥事による失脚から復帰したプチ女性政治家Tに過ぎなかったってことはとても悲痛なことだけど、ほかに誰もいないほど人材不足の社民党じゃどうしようもない。

あの人のターニングポイントはやっぱり、衆議院議長を引き受けてしまった(引き受けざるを得なかった)、というあの時期だろうな。
あの当時の勢いのまま、社会党を梃子に国政を動かすなら、中立を要求される衆議院議長になんてなってる場合じゃなかった。ただあのときの情勢を細かくは憶えてないけど、あれはあれで不可抗力に近かったような記憶がある。
今の民主党の菅直人と同様、当時の土井さんもまた、ほとんど独力で育てた社会党という動員兵力の主導権を、理不尽にも無能な副官たちに握られざるを得ない状況に立たされていた。その長期的な結果として、社会党は頭の悪い後継者たちの手で方針を見失い(村山元首相はそこには入らないと思うが)、さしたる意味もなく改名し、独自のカラーを失い、凋落していった。
その末路が、現在の知る人ぞ知る零細政党・社民党の姿だ。

2つめのターニングポイントは、そのダメ社会党が凋落しつつあったころ、いっとき自民党が政権を失った時期があった。
日本新党、細川内閣、だったかな。
あのとき、土井さんはなんらかの政治的取引をすることにより(たとえば、子飼いの社会党員数名を連れて日本新党に寝返り、その代わり社会党本来の主張の一部を日本新党に取り入れさせる。批判的な論調に対しては、取り入れてもらった主張の重要性を声を大にして訴える。有力なポストも用意してもらう)、恐らく社会党外に地位を築くことができたんじゃないかと思う。あくまでも憶測というか、当時の少年だった僕の拙い観察に基づいて述べてるだけだけど。そうすればいいのに、そうしてほしい、とニュースを見ながらずいぶん思っていた記憶がある。
ただ、あの人は信念の人であって、そういう小器用な真似はどうやらできなかった、ように僕には思える。

その後、もはやすべての時期は過ぎ去り、修復不能なまでに腐れ果てた社民党の党首にというふざけた打診(まったくふざけている。土井さんの作った社会党を乗っ取り、事実上壊した馬鹿たちが、修復不可能になった残骸を持って泣きついたという格好なんだから。それもこれも、僕に言わせれば、ということだけど)を受けたときも、悩んだ末に唯々として従い、しかもそこで死力の限りを尽くした。
でも不可抗力で選挙は惨敗し、やがてその惨敗と、不肖の後継者候補Tの不祥事の「責任を取って」党首の座も退き、そして今日の状況を迎えることになった。
護憲のシンボル、と贈り名しているリンク先の新聞記事は、かなり正しい、と僕は思う。
そして護憲ということには、実は依然として絶大な意味がある──少なくとも、現行憲法をよく知りもせずに「改憲だ」と口走れるほどの粗末な政治感覚の持ち主には反論する資格を見出し得ないほどの。なんせ改憲論支持派の国民の圧倒的多数は、改憲した場合にどんな憲法ができることになるのか、明確なビジョンなど何一つ持ってはいないのだから。

彼女の主張は決して、時代遅れの旧物ではない。
彼女の時代そのものが、去っていってしまっただけだ。
使いものになる後継者もなく、女性政治家の有能さを明かし立てるに足る対抗馬も誰一人現れないままに。
そのことがただ、痛々しく思えてならない。
03:47 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Thu.

それでいいのか中国人~香港ディズニーランドの苦情騒ぎ~

はからずも「自分のことは棚に上げ、他への要求だけは高々と振りかざす中国人」というステロタイプが健在であるらしきことを象徴してしまっている一件。
「香港ディズニー:大陸メディア、『下品な客』批判」
開業早々の香港ディズニーランドに繰り出せるのなんて、全体から見ればそれなりの経済レベルの連中なんだろうに、それでもこういうことが起きるものか。もちろん、この批評文の元ダネになった記事を書いているのもまた香港の「信息時報」とかいう新聞?の記者のようだから、要するに中国人であるわけで、中国人も玉石混交なのは当然として。
ただ日本人であれば、どんなに無知無教養でも周りの目を気にする分、こんなレベルの醜態を晒すことは少ない。アメリカのゴルフ場で馬鹿笑いしながら、やたらと時間ばかりかけてラウンドして顰蹙を買ったり、なんて話題は聞くけど、比べればつくづくかわいいもんだと思う。

このニュースに出てくるような中国人なら、政府の言論誘導にも簡単に乗るだろうし、日本とは縁もゆかりもないことでも日本を憎んでストレス解消できるだろう。
この件を国際的な見地から見て、心底恥ずかしく思えるほどの知識人ならいい。でも、この手のステロタイプ的中国民衆の厚顔無恥ぶりには、今に始まったことじゃないけど、打つ手なし、という印象を受けました。
中国政府も、場当たり的な支持ほしさにあまり彼らをマインドコントロールしないでほしい。簡単に引っかかるんだから。お家芸の嫌日教育、明らかに行き過ぎ。日本での中国人の受難を報道するなら、日本で中国人の犯した犯罪についても同様に報道するべき。日本の戦争責任と賠償問題について報じるなら、日本が戦後中国に送り続けた目が飛び出るほどの政府開発援助についての情報も参考データとして提供するべき。
最低限の公平の感覚を保てない教育機関、マスコミはいずれも噴飯ものの完成度というべきで、ああいうものは一流の文明国には存在しない。

まあそれはともかく。
サッカー・アジアカップで見せた何十万単位の中国人たちの醜態も、結局のところ、あの愚民階層のしわざだな。どうしたらこの階層を削り減らしていけるのか、という方向に真剣に取り組んでもらわないと、中国はどこまで行ってもかつての「眠れる獅子」ならぬ「寝惚けた獅子」のままだ。
寝惚けた獅子──その心は、「周辺諸国にとっては危険だが、お世辞にも絵にはならない」。
そのままでいいのかね。中国の方々。
03:01 | 雑談・座談 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Mon.

世界柔道女子無差別級・薪谷、涙の復活優勝

世界柔道の最終日も見てました。
全体として、面白い選手は前日までに出尽くしたか、という感があってやや不得要領のまま進んでいったけど、最後の最後に至って、見続けていてよかったと思った。
そう思わせてくれたのは、女子無差別級・薪谷の涙の復活優勝。
「薪谷が女子無差別で金=男子の高井は銅メダル-世界柔道最終日」

3年前のとある試合中、右膝の「開放性脱臼」という選手生命に関わる重傷に見舞われて、その日以来のリハビリと、再起をかけたトレーニング、そして挑戦と挫折の日々。ただでさえ選手生命の短いアスリート、それも日本よりむしろ世界に強豪の多い重量級で、再起の保障のないその3年間は、ほとんど無限と思えるほどに長かったかもしれない。
最後、死力を振り絞った大内刈りか何か(←あまりわかってない)で一本を取り、勝利を確認した瞬間の感情の爆発は、あれは、僕は過去にバルセロナオリンピックでの手負いの古賀稔彦の、優勝決定直後の咆哮を見て以来、絶えて見なかったほどのものだった。どれだけの感情を胸の内ひとつに納めてこの日までがんばってきたんだろう、と思って、試合後のインタビューで顔をくしゃくしゃにして泣きながらいろんな人たちへの感謝の気持ちを伝えようとする姿を見ているうちにもらい泣きしそうになってしまった。

とにかく、よかったよ。薪谷さん。
金メダルおめでとう。
03:04 | スポーツ | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sun.

開票途中における選挙寸評(※毒舌注意)

菅直人の後釜に座った大馬鹿者が愚論珍論を並べ続けるのを見てる中で、この選挙が民主党の大敗になることはある程度読んでました。だからこそ、自民党が圧勝して政治的な緊張が失われるのを恐れて、僕は民主党に投票したんだけど。
でもまさか、大敗どころか玉砕に近いこんな負けになるとは思わなかった。
何が政権選択選挙だ。あの石頭の大男め。(毒笑
これで菅直人が苦心惨憺して撒いた種も残らず小泉政権が収穫、って運びだな。党首辞任といわず、どうぞお腹を召しませ、だ。

小泉政権に関していえば、郵政民営化を、所得税制の抜本改革とセットでやろうっていうのならまだしも、そうじゃないのなら箱庭の中のお遊びというか、ジオラマ改革といおうか。
(選挙戦のキャッチコピーっていうのはこういうふうに作るんだよ、岡田君。君みたいに極端に凡庸でさえなければ、1分半でできる仕事だ)
靖国問題やら何やらに絡んだアジア情勢も気がかりだし。
さらには、大敗した民主党が、今後小沢あたりの軽挙妄動でさらに細切れに分散化するんじゃないか、って懸念もある。
よくないね。かなりまずい。

強いて希望的なことをいうなら、これで立場を安泰にした小泉が、多少は余裕を取り戻して、靖国なんかに関しては多少の譲歩的な選択をできるようになるかもしれない、って点くらいのもんだけど。
なんかいかにもなさそうだなあ・・・。
22:45 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Wed.

命(ぬち)どぅ宝

NHKスペシャル「沖縄 よみがえる戦場 ~読谷(よみたん)村民2500人が語る地上戦~」の再放送を、ぐうぜん途中から見た。内容は、生き地獄のようになった郷里を右往左往した末にかろうじて生き延びて、でも戦後もその延長線上の苦難を抱え続けてこなければならなかった沖縄の人々の語る言葉に、現地取材や検証を加えていくもの。すごく真摯に作られた、良質のドキュメンタリー、だったと思う。

言葉もない思いで見ているうちに、僕のような平均的ヤマトンチュにとっては衝撃的な新事実を知ることにもなった。「沖縄駐留の日本軍残党は、アメリカの保護下に入った沖縄の人たちを虐殺していた」ということ。アメリカ軍から食料などをもらって、その代わりに日本軍の隠れ場所などを教えているに違いないという思い込みに基づいた、救いようもない無差別殺人だ。
該当部隊の指導者たちはスパイの何のといっていたらしいが、島民も日本軍残党も島内をバラバラに逃げたり隠れたりしている状況下で、そうそう島民が情報に通じているはずもない。教えるほどの内容自体、さほどにはない、というのが実情だっただろうに、その程度の理性を働かせるいとまもなく、確認をとる努力さえせずに、彼らは一方的に殺した。いつの時代、どんな場所にも馬鹿はいるけど、それが銃を持ち、集団を成して、身内に対して猛威を振るった実例がそこにあった。

戦後60年を経た今となっては意味するところが想像もつかない、「琉球民族への差別意識」のようなものさえ、そこには垣間見えるように思う。というのはつまり、避難民が当時の純粋日本人たる、いわゆる大和民族(?)であってもあの虐殺はありえたか、という点に一抹の疑念を感じるからだけど。いや、それとも、・・・ここから先はどうも、どこまでいっても想像の域を出そうにないからやめるけど。
今のイラク駐留アメリカ軍の兵士が、さしたる痛痒もなくイラク市民を殺す(テロ行為に対する「自衛」のために)のと同様の気安さが、そこには疑えば疑えるのではないかと。そんなことをさえ、なんとなく思ってしまった。


こういうことだと、南京大虐殺なんかも充分、中国側の主張に近い規模で起こしかねない素地は旧日本軍には濃厚にあっただろうと考えざるを得ないな。残念ながら。
もちろん、軍という集団の強制力に巻き込まれて、どうすることもできなかった人も多かっただろう。ただ、そういう人は、あるいは、必ずしも絶対多数というわけでもなかったのではないか。よりにもよって、軍の統制もバラバラになりかけた最後の最後のゲリラ戦の時期に及んで、アメリカ軍の監視下をかいくぐって命がけで避難所まで押しかけて、守るべき島民を殺すために貴重な手榴弾までふんだんに使った馬鹿どもがいたとあっては。この事件の悪質性は、極限状態だったからというだけでは到底見過ごされえないものだと僕は思う・・・実際にそのときその場にいたら、僕もまた加害者になっていたかもしれないと恐れつつ、それでもやはり、そう思う。

記憶はちょっとあいまいだけど、沖縄駐留の旧日本軍には天皇に宛てて「沖縄県民かく戦えり。後世格別のご厚配を賜らんことを」と打電して自決した総司令官がいて、その人なんかは当時の沖縄の人たちからも決して全面的に憎まれてはいなかったはず。実際、はるか後世を生きている僕のような極楽トンボでさえ、あの人の最後の上奏文を読んだときには、その凄絶なまでの覚悟と思いやりとに思わず涙ぐんだものだった。でもそういう人がいる一方で、こんな獣じみた馬鹿どももまた闊歩していた。
沖縄の一部過激派(?)は、「沖縄は日本の支配を離れてアメリカに属した方がよい」というようなことを言う、なんて話を僕は以前に小耳に挟んで、それもちょっと極端なんじゃないかなあと漠然と思っていたけど。
こういう経緯を知れば、そんな言葉を口走りたくなる心境も多少はわかろうというものだ。

そうでなくてさえ、沖縄の本土返還は1972年でしかなく、それから今まで33年しか経っていない。沖縄出身の40代以上の方々は「日本でなかったころの沖縄」を肌で知っているし、それより下の世代の人たちも、その時代の記憶や、そこに至る苦難の歴史を彼らから直接、聞いてきているのだから。
思い出してみれば、かつて大学時代のゼミで知り合った沖縄出身のM君は、「沖縄の人間には今でも、県外の人に対して距離感がある」という趣旨のことを何度か言葉を変えて口にしていたけど。その言葉の理由が、これまでより多少はリアルに実感できた気がした1時間少々だった。
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03:04 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Thu.

セミは「死」のイメージ

実は、僕はセミっていう虫がゴキブリ並みに嫌いで。
あの羽音が耳元をかすめたりすると、ときには鳥肌が立つくらいの生理的苦手意識を持っています。理由は多分、あまりにも知性の感じられない動き方をするから嫌だというのが1つと、あともう1つは僕にとって「死」のイメージだから、ってことなんじゃないかと思ってるんだけど。
生きてればバタバタと激しく力強くもがくくせに、ひとたび死ねば強風に吹かれてコンクリートの上を滑って行ってしまうほどに軽い、乾ききった残骸になってしまう生き物。
おまけに、僕は愛犬が生きていたころ、散歩中に地面でもがくセミをスコップで救い上げたら、そのセミはカマキリに食われていて、頭と羽しかなかった、という原体験まで持っている。あのときは文字通り、全身が戦慄しました。

ときどき考えることなんだけど、死を映像化するとしたら、僕は果てしない桜並木を設定する。両側の桜は花盛りで、ピンクの花びらが風に舞っている。
でも近づいていくと、その満開の桜の木々の間から、ボタボタと黒い塊が落ちていっているのがわかる。その塊は、地面に落ちると、ガシャガシャ、と音を立てて重なる。言うまでもなく、それはセミ。
間違いなく死んでいるのもいれば、息を吹き返してまたもがきだすのもいる。そうして、風が吹けば、桜並木の地面の上を、転がったり滑ったりしながら押し流されて行く。
僕はその木々の間を、地面に転がるセミの死骸を踏まないように気をつけながら歩いていかなければならない。
ときおり耳元をかすめる羽音に、全身を戦慄させながら。
02:32 | 雑談・座談 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Thu.

プライド頂上決戦・ヒョードルVSミルコ

PRIDE GP 2005 2nd ROUND先日のプライド・ミドル級グランプリはとうぜん見てました。2日遅れの地上波でだけど。
ものすごく面白くて夢中で見ていたものの、あまりにも美しく素晴らしいばかりで、かえって特に思いつくことが何もなく。(汗
なんとなく言葉もなくて、日記上では一言もなくスルーしちゃってました。

中でも美の極致だと思ったのは、やっぱりワンデイ・トーナメントのミドル級よりも、同日開催されたヘビー級タイトルマッチ。言わずと知れた、「氷の拳/ロシアン・ラストエンペラー」こと現王者エメリヤーエンコ・ヒョードルに「戦慄の左ハイキック/無冠の超人」ミルコ・クロコップが挑んだあの一戦です。
最初の5分はスタンディング・ファイト中心の展開の中でミルコが主導権を握り、あとはグラウンドの攻防を中心に、スタミナの問題から動きの落ちたミルコをヒョードルが追い詰めていく、という展開だったけど、両者とも凄まじい集中力と闘志で、言葉で表現しようにも追っつかないような異常に緊迫した空気が最後の最後まで持続していた。


序盤を除いては主導権をヒョードルに握られてしまった感のあるミルコも、敵のフィールドであるグラウンドでの防戦ではその超人ぶりを遺憾なく見せ付けた。
もともと、グラウンドといえば柔術の天才であるかつての無敗王者「リオの柔術マジシャン」アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの天下だったわけだけど、その覇権を事実上粉砕したのがほかならぬ現王者のヒョードル。彼は「一般論として、柔術使いがいちばん有利」なはずだったグラウンドの攻防で、「グラウンド状態から拳で猛ラッシュ」すること(「パウンド」と呼ぶらしい)を軸にした新たなスタイルでノゲイラを撃破し、世界最強の地位を築いて見せた。その猛攻は柔術の天才ノゲイラでさえ、リベンジを狙った2度目の対戦でも打破できなかったほどの凄まじい破壊力だ。

ところがミルコは、ノゲイラでさえコントロールできなかったヒョードルのグラウンドからの猛ラッシュを、自分が下になった不利な体勢を延々と強いられながらも、最後の最後までコントロールし、決定的ダメージを負わずに凌ぎ抜いて見せた。ミルコはノゲイラなどとは違って、本来は打撃オンリーで寝技・つかみ技などのないK-1から出てきた立ち技打撃系ファイター(≒キックボクサー)だから、そういう展開では絶対的に不利になってもおかしくないんだけど。この試合に限っては、本職の立ち技よりもむしろ劣勢を強いられた寝技での攻防において、驚異的な成長ぶりと天性の直感力とを証明することになった。
その執念と集中力、精神力、そして格闘センスは、やっぱり最強の挑戦者のそれだった、と僕は思う。


けれども、判定になってしまえば、序盤を除いてほとんど防戦一方だったミルコに勝ち目はなかった。彼自身も勝敗を悟っていたらしく、やや呆然とした面持ちで判定を待ち、3-0の判定を聞くとヒョードルを称えて、やがて静かにリングから引き上げていった。気丈に胸を張り、世紀の名勝負に酔った観衆の歓声にときおり右手を上げて応えながら。
まさにプライド、という光景だった。そしてリング上で、いつものようにかすかな微笑を浮かべて周囲の祝福を受けるヒョードルもまた。
あまりにも見事な勝負を目の当たりにして、あのとき会場にもテレビの前にも、敵も味方もなくなっていただろう。少なくとも僕はそうだった。もともと敬意を抱いていたヒョードルにも、ずっと応援してきたミルコにも、心の底から満足してしまって、「あれがああだったら」とかつまらないことを考える気にもなれなくなっていた。

あれは素人目にも、どちらの側にも心残りなどない、すべてをぶつけ尽くした死闘だったから。
言葉もなく、ただ拍手をしていたかった。
00:03 | スポーツ | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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