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Mon.

「ひめゆり学徒証言は退屈」問題について少々

この問題を報じる新聞記事は興味深く読んでいたものの、どうせ試験問題の原文は読めないんだろうと思って深く追及しないでいたんだけど。
つい先ほど、BigBanさんのところ経由で思いがけず読めたのでよかった。
2件目のリンク先で紹介されている、問題文の後半部分がけっきょくは火種になったらしい。
しかし僕としては、それこそ不謹慎にも、問題文前半をエキサイト翻訳にかけてみたときの迷訳にやられて、しょっぱなからはなはだしく勢いを削がれました。(笑)

それらの軍人の大部分が彼らの遅い80にありました、それらのステッキの助けなしで彼らの震動しているボディーを保持することができません。

理念上は笑うところじゃないといったって、これが笑わずにいられるか・・・振動しているボディーって。(涙

こういう反射というのはある意味、この問題の本質とも相通じるところだと思うんだけれども。
BigBanさんも、葬儀の席で不謹慎ながらも感じてしまう退屈について例として言及してるけど、それに近いといえば近い話。
実際、笑うといえば、僕が法事だとかの厳粛な場に連なっているときの反射の1つは、笑いたくてしょうがなくなることです。
本当に親しかった故人を悼む、心の底からの当事者としての葬式なんかであれば、笑うどころじゃないのはもちろん当然でしょう。
でも、場が葬式や法事のたぐいだからといって常に絶対に悲しいか、といえばそれは現実としてそうじゃない。

みんなして神妙な顔して、木魚がポクポク鳴ってて。
よく肥えた生臭ボウズがもっともらしく読経してるけれども、誰もその音読の意味なんかわかってない。
いやそもそも、元をただせばあの経文の巻物は、日本に入ってきた当時から、もともとはちゃんと意味の通った外国語の文章だったものを、翻訳もしないでむりやり音をこじつけて読むようにしてしまったという、いわば出来損ない。
およそ1400年来の、奇形の文化の成れの果て。
あーあ退屈だな、とか思ったあたりで、そろそろ笑いたくなってくる、という仕組みです。
なにも法事に限らず、厳粛さって、一般に笑えてくるものだと僕は思う。


要するに、「かくあるべき」厳粛さと、「現実として」の退屈や可笑しさ、とのせめぎ合いがあるわけです。
そしてそのせめぎ合いはまた、「ひめゆり学徒の生き残りの方たちの話は尊重して聞くべきだ」という一般理念と、「しかしそれが必ずしも今を生きる高校生に鮮烈な印象を残しえないなら、『戦争の悲惨さという本質』の風化には歯止めがかからないのでは?では一体、どうすれば?」というより深い思索、とのせめぎ合いとも重なる。
理念と、本質。理想論と現実論。お体裁主義とリアリズム。
たとえば、遅かれ早かれ、戦争当時を知る語り部たちが一人もいなくなってしまったときに、今を生きる我々は、その記憶をどのようにして引き継いでいけるのか。

結局のところ、それを突き詰めて思索することこそが、その問題について「考えている」ということなのであって。
単にひめゆり学徒の方々の話を神妙に承っているだけの人々は、実は「馬の耳に念仏」を地で行っているに過ぎない・・・いや、本当の念仏ならべつに馬の耳だって同じことだが。(ボソ
そしてそういう、より深い思索レベルの文章を、ごく生な表現のままで入試の問題文に使ってしまったということが、要するに今回の問題の発端になった。
薄々、新聞記事だけを読んだ段階でも疑っていたことではあったけど、原文を読んだ今となってはそういう事情だったことは明らかだ。
意の通じない世論に一方的に叩かれた格好の担当教師には、僕は同情を禁じえない。


ただし結論をいうなら、僕はその教師を100%擁護することもできません。
彼ないし彼女に、まったく問題がなかった、とは思わない。
何が本質を伝えうるか、という課題文のテーマはたしかに魅力的だけど、やっぱり、それを問題文として出してしまった判断は、ちょっとばかりマヌケだったかもしれないな、と思うから。
この機会に、せっかくなんだから内容のある文章に触れてほしい、と思って、いってみればまあ、魔がさしたんだろうね。
ご本人の文章だったみたいだし、せっかく書けた名文を引っ込めて、月並みな駄文に書き直すのが嫌だったのかもしれない。

ちょうどまさに、僕自身みたいなタイプの人がやりそうなバカミスだ。と思う。(笑)
やってることは大略正しいのに、平々凡々たる一般の反発を計算に入れないから無駄な波風が立って、ともすれば裏目に出るんだよ。(マヌケ!
批判に回った元ひめゆり学徒の方とかは、ちゃんと問題の原文を読んであるのかな。
ただ幸いというべきか、高校側もことさらに担当の教師をどうこうするとかはいわずに、ごく表面的に(?)謝罪してやり過ごそうとしてるみたいだし。
対処としてはまずまず、ってところなんじゃないでしょうか。
となれば問題はむしろ、報道側の安易なハリキリっぷりの方にあり、ってことになりそうだ。

沖縄県への修学旅行でひめゆり学徒隊の女性から沖縄戦の話を聞いた生徒が「退屈で飽きた」と感じたという趣旨の英文

・・・という記事中での紹介が、果たして妥当だったかどうか、という問題です。
妥当ではない、という点に関しては、原文を当たればほとんど異論の出ないところなんじゃないかと僕は思うけど、どうかな。
参照サイト/トラックバック送信先
「ひめゆり学徒証言は退屈」------不謹慎と表現力の微妙な関係(BigBang)
ひめゆりかぁ…(夢幻の如)
ひめゆりの英文を和訳してみる(はむはむの煩悩)
ひめゆりの英文を和訳してみるその2(はむはむの煩悩)
入試問題で「ひめゆり学徒体験談は退屈」青学高等部(児童小銃)
青学高ひめゆり学徒入試問題は、なぜ叩かれる?(秋葉原萌妻日記)
青学高等部の英語入試問題(でも、私には「今」がある)
「ひめゆり」は御経か?暗号か?(娑婆に出る)
ひめゆり学徒に関する青学の問題に関する不謹慎(フランスにいて思うこと)
青学高等部2005年度入試問題 英語 PDF文書
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