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Sat.

扶桑社版教科書は公共教育の意義を揺るがす

何のために、というのがいちばん気になる。
「愛媛県教委が扶桑社版採択 来春以降の歴史教科書」

 愛媛県教育委員会は26日、定例会を非公開で開き、県立中高一貫校3校(生徒数計約1440人)と県立ろう・養護学校で来春から使う歴史教科書を「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した扶桑社版に決めた。
 県教委は定例会終了後に会見し、井関和彦委員長が「日本独特のすばらしい文化や歴史上の人物を多く取り上げてあり、生徒が歴史に対する関心を持てる」と採択理由を説明。「子どもたちが自国に誇りと愛着を持ってほしいとの願いを込めて選んだ」と話した。
 委員6人の全会一致で決定。議論で委員からは「事実の羅列ではなく物語風に書かれ、生徒の興味を高める」「文化、人物の記述で質量ともに他社より優れている」などと扶桑社版を評価する意見が出された。反対は全くなかったという。(共同通信)

事実を淡々と伝えるだけの記事内容だけど、教科書採択を主導した勢力は何と言っているのかを聞いてみたい。こんな口先のおべんちゃらやおためごかしのたぐいじゃなく、歴史歪曲と批判される教科書をことさらに採択するということについての正面切った本音を。
もちろん、何がいいのか、なんてことはわからない。現代中国のように、国民にある種の予断を植え付けて、それによって国論を統一し他国に当たろうとするのも教育の歴史的な機能の1つだろう。日本もまた、そうすべきだ、というのが扶桑社サイドの主張なら、それはそれで一企業としての論理的な趣旨は通っている。
ただ、公的な機関がそういった一企業、ないし一団体の主張に肩入れするとき、民主主義国家における公共教育の存在意義は地に落ちる、と僕は思う。

手短に結論をいうなら、2通りの教科書があり、片方が歴然と一定の予断を持って編まれているとわかっているとき、公共の教育機関はもう一方を選ぶことをもって良識とするべきだ。中国の独善的な歴史教育は、たしかに聞けば聞くほどに噴飯モノの可笑しさだけど、だからといって日本もまたそれと同レベルに成り下がって子供の喧嘩をしようというのはいただけない。
そういった偏狭な民族主義的視点に、公共教育もまた立とうとするなどはまさに論外としかいいようがない。
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02:27 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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