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Sun.

「隣人は静かに笑う」を静かに笑う

木曜に借りてきた「隣人は静かに笑う」。
評判のいい映画だから多少期待したけど、よかったのは導入部だけでした。
あそこでグッと掴まれて、その後の主役の大学教授が米国史を講義する場面でガクッと醒めて、後はずっと冷淡に筋を追ってることしかできなかった。
アメちゃんにはあの程度が限界なのかな、って感じ。
テロリストがあんな、ウィットを解さないアダムス・ファミリー程度のものだったら、そこには人間の課題もヘッタクレもない。
(ちなみにアダムスファミリーは大好き・・・アメリカ的なもの、を毛嫌いしてるわけでは全然ない)

最初の講義の場面の、ほとんど一言目からよくなかった。
アメリカは何年前に革命を起こし、独立と正義と自由を勝ち取った。みたいなセリフ。
ああこの講義はダメだな、と学生気分で思ったね。
独立は事実だからいいとして、正義とは何?
自由は何をもって自由とする?
そもそも、歴史ってものは正義と不正義、自由と不自由(ないし圧政)、という二元論じゃ絶対に把握できないものだ。
もし現実のアメリカの大学でもあんな浅薄な米国史を教えているとすれば、現代アメリカの致命的な国際感覚の欠落は大学教育が元凶だな。

イラク侵略の問題でも散々出てきたアメリカの「正義」「イラク人に自由を」という類の病的思い込みとまったく同一の、ボキャブラリの貧困。
それが主人公の、教授としての第一声なんだから情けない。
いやでも、ひょっとしてこの大学教授は実は悪役の方で、これが「隣人」なのかな?と思い直して見てたけど、すぐにどうやらそういうわけでもないとわかった。
テロリスト側の人物描写も、ほとんど病的な逆恨みと奇妙な実務的実行力の混在、という程度のシロモノで、あまりにもお粗末過ぎた。
強いていえば、「テロリストはあなたの隣人かもしれません。気をつけましょう」という、平均的なアメリカ一般市民にターゲットを絞った啓蒙ビデオ?としてなら理解できるかな。
あれが映画だなんて、・・・制作費の無駄だよ。(毒

好きな人には本当に申し訳ないけど、僕は映画ってものを常に人間を中心に見ている。
小説でもテレビドラマでもそれは同じで、そこに不合理を感じたら、僕は決してその物語の中に入り込めない。
確かに社会にはいろいろな人間がいるけど、あのテロリスト夫婦の、特に妻の方の描き方の浅薄さにはほとんど絶望を覚えた。
あの人がどんな人で、何を思って生きて、人を殺しているのか、なんとなくでも想像しながら見られていたって人はいるのかな。
夫の方も途中までは悪くなかったけど、本性を現してからの描写はまったくダメ。
さらには、主役もよくない。こちらは描き方が問題というより、こういう人物設定なら主役としては見たくなかった、という感じ。
あまりにも人として鈍すぎるから。
大学教授という立場にいながら、主体的な思考能力や思想する能力に乏しすぎるから。

それはもう、僕にとっては見てられないほどに人間として醜怪だった。
講義での視野の狭さに始まって、アメリカ的誤認型正義の歩く標本、という程度にしか見えなくて。
そういう人物の視点で物語は描かれていくので、観客はその人物に自分を重ねなければならないわけだけど、僕にとってはそれはほとんど不可能だった。
アメリカ人向けだな、と感じた要素の一つはそのあたり。
アメリカ的正義、をとりあえず自分のものとして抵抗なく受け入れることができなければ、あの主人公は無理。
もしくは、観客の側に政治的主体性がまったく欠落していなくては無理。
コイツが悪役ならいいのに、とつくづく思った。
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