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Thu.

欧米コンプレックスの残滓

どうして彼のファッションは一抹の滑稽味からいつまで経っても逃れられないのだろう・・・。
HGに間違えられるのも無理はないよ。
「中田“カウボーイ姿”で帰国」
いや、「人のことは言えない」っていう大前提はひとまず置いといて。
あれだけ工夫して金かけて経験をつんで、それでもなおあの有様、っていうところが妙に引っかかってしまうわけですよ。

もともといま20代前後のわれわれの世代というのは、欧米コンプレックスから極端に自由な人と、旧態依然たる欧米コンプレックスの塊、みたいな人との両極端だと思うのだけど。(もちろん膨大な中間層もいる──ただ、意識的に何かをやるような人たちが両サイドに隔絶して存在しているような観がある。ような気がする。)それで中田さんは、ああ見えて実は後者の最たるものなのかもしれないなあ、と彼のファッションを見るたびに思ってしまうのです。
はっきりいってしまえば、毎度のことながらちょっと恥ずかしい。K○ZUの成金ファッションも正直、相当なものだと思っていたけど。
お洒落なことになっている中田さんも、実態は大差ないじゃん!!・・・という。(笑)
僕はどうも、あのセンスにはついていけない。


歌の世界でも、そのへんの事情は僕にいわせれば似たようなもので。
とてもわかりやすいところでは椎名林檎が前者の代表格で、ほかにもコッコやスガシカオや川本真琴や、日本人で僕の好むいわゆるアーティストの大半は前者に入る。
そして名前を挙げることは遠慮するものの、その逆側にいる人たちの音楽的センスには、いくら技術や手練手管に優れたものがあっても、僕はどうもいまひとつついて行けない。

「逆側にいる人たち」にカウントはしないものの、ちょっと象徴的な存在としては宇多田ヒカルがいるかな。あの人は才能はもとより、音楽性も僕はべつに嫌いじゃないけど、ひとつどうしても引っかかってしまうところがある。
それは、これも毎度のことながら、「アメリカでリリースするとき、なぜ音楽性もキャラクターも別物のように作り変えずにいられないのか」という点。「いや、彼女はそんなことはしていないよ」という意見もあるかもしれないけど、どうも僕にはそういうふうに映ってしまっているのです。今のところ。
市場対策なのか何なのか知らないけど、無駄なことをするものだ、と思ってしまう。


最近アメリカで妙な人気を博しているというPUFFYの片割れが、インタビューで「向こうに行ったからといって違うことをやる必要はない。こっちでやってるのと同じようにやればいい」という趣旨のことを言っていたけど、まさにその通りだと思うんだよね。
たとえば椎名林檎があのまんまのファッション・挙動・パフォーマンスで、ロンドンの街角を占拠してゲリラライブをやっている風景を、僕は見てみたい。
宇多田ヒカルもまた、日本で出してる曲に共通してる、彼女のキャラクターのわりには意外なほどに日本的な「情緒」みたいなものを、押し包むことなく押し出していったら、そのこと自体が彼女のアトラクションになりそうなものなのに。

地に足ついてることのリアルさを犠牲にしてまで誰かや何かの真似をしてみても、見抜かれてしまうんじゃないかなあ。
と、彼や彼女を見ているとつい、思ってしまうわけなのです。
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12:55 | 雑談・座談 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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