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Tue.

ジーコの無能をごく感情的に非難する

無為無策では策士には勝てない、ということをさらけ出したね。サッカーの貧乏神様。
4年前、「ジーコじゃ無理だ!」という絶望の叫び(←事実)からスタートした僕にとってのドイツW杯は、最低最悪の開幕戦となりました。準備も采配も、本当にヘタクソだね、あのメッキの剥げ落ちた貧乏神は。

そもそも、ドイツ入り後に練習を全面公開でやってきたというのからして、言い訳の余地のない大失敗だと思う。セットプレー対策なんかは、相手が「知らない」ことがスタートラインなのであって、その前提を自ら覆してしまえば、もうそこにはなんの優位性も残らないわけだから。
それでもなお、あの愚かな耄碌ジーコは「平常心で臨む」ことの大切さか何かを説こうとするのかもしれないけど、それは老いらくの戯言というべき根本的な誤り。平常心というものがどこから生まれるのかといえば、それは「やるべき準備をやっているという安心感」から来るものなんであって、「セットプレーの練習まで公開でやってしまって、これで大丈夫か?」という不安がいささかでも脳裏をよぎる選手が、1人でも2人でも出てしまったら、練習の公開は平常心の維持という目的とは逆行する結果を招いてしまう。

練習を非公開にすることで緊張感が過剰に高まる危険性は確かにあるけども、少なくとも戦術の秘密を守るという目的はほぼ確実に達成できるのに対して、練習を公開し続けることのメリットはほとんどその成果が見込めず、ただリスクだけがある。
あそこまで頭の悪い人では、誰にお説教されたところで飲み込むだけのキャパも脳内にないのかもしれないけど、でもだとしたら、彼を選んで支持し続けた川淵という人の責任はどうなるんだろうね?
てっきり、今ごろはホテルの自室に引き取って鮮血の中に突っ伏してる頃合かと思ったら、のうのうとテレビでくっちゃべってるのには心底ビックリした。まあ、3戦が終わってから、ってことですかな、敗軍の総大将よ。
お腹を切るのは痛くてイヤなら、しょうがないからせめて辞表だけは書こうね。「キャプテン」なんて気取った名乗りはもういい加減にやめてさ。


試合の戦術面に関していえば、中盤を支配しつつ戦うことを志向したはずのこの代表チームが、サッカー二流国のオーストラリアにほとんど押されっぱなしに押されていた、という時点ですでにこの4年間の意味を疑わざるを得なかったとこだけど、それはまあいい。ほかにいうべきことが腐るほどあるし、オーストラリア自体に素晴らしい勢いがあったのも事実だから、この場では目をつぶって、試合中の采配についての言及にとどめることにする。

たとえば後半の、柳沢を下げて小野投入。あれ1つだけで、ジーコの首をハサミでチョキチョキ端っこの方からちょん切りたいほどの憎悪の対象だよ、僕に言わせれば。
小野という選手はたしかにいい選手だけど、途中出場で印象的だったことはここしばらく、絶えてなかったと僕は記憶している。そういう選手を、試合の流れをつかめない中で、なぜわざわざ投入したのか。しかも、ただでさえ試合途中から流れに乗るのが下手な選手を入れるというのに、なぜそれと同時にFWを1人減らすという戦術的変更まで行う形での交代にしてしまったのか。ジーコでは脳力的に無理だろうけど、誰か説明できるもんなら2000字くらいで説明してみてほしい。
あの時間帯、僕が強く期待した名前は2つあって、それは小笠原と大黒。そして、戦術的に1トップにしつつ途中出場でのインパクトある動きを期待するなら、出てくる人間は小野ではなく、100%確実に、小笠原でなければならなかった。

ただそもそも、「戦術的な変更を伴う」必要が果たしてあったのか、というところにも僕はすでに深刻な疑問を感じている。今日の高原は、お世辞にも動きがいいとはいいがたく、あの状態の高原を前線で1トップとしようという神経が、僕には正直なところ想像だにできない。決定力のなさという意味ではこの日の高原は柳沢とどっこいで、動きの質自体は柳沢より下回っていたから、僕ならこの交代はそもそも選ばなかっただろう。高原、柳沢の2トップは、お世辞にも動きがいいとはいえなかったとはいえ、まだしばらくそのまま引っ張るべき時間帯だったと僕は思う。
むしろ深刻だったのは中村のスタミナ切れの方であって、僕ならごくごくシンプルに、中村を下げて小笠原、という決断をしていた。「柳沢を下げる」「小野を入れる」「システムを変える」という貧乏神の3つの決断(に基づく、1つの交代)は、すべて根本的に間違っていたと僕は思う。


そうして、この日の貧乏神采配に止めを刺したのが、ロスタイム突入前後での大黒の投入だ。
大黒という名前自体は、僕自身も待ち望んでいたものではあったけど、丸々5分か、あるいはそれ以上、あの貧乏神は遅すぎた。結果は如実に出た、というのは、大黒はファーストタッチから焦りに焦りぬき、ボールに触ってはミス、空回り、という繰り返しの中で3分間の持ち時間を使い果たしてしまったからだ。
それは、大黒が悪かったのか?いや、悪いのはあの貧乏神だ。サッカー音痴のジーコ監督さんが悪いのだ、と僕は思う。

存在を消したいほどの酷い試合だったとはいえ、たった1つの致命的ミスを除いては神がかり的だった川口、終始安定していた宮本・中沢、ボランチの福西、それに徹底マークの中でそれなりのパフォーマンスを維持した中村・中田、といったあたりはそれなりの仕事は果たしていたと思う。中には、これ以上は無理だろう、と思うくらい働いていた名前もある。
そんな試合が、なぜあんな体たらくに終わったか。それは不運だったからもあるかもしれないが、それだけではない。
サッカーの監督というものは、野球とは違って往々にして選手以上の高給取りだけど、それはそれだけの貢献と責任とが実際にあるからだ。ヒディンクは、やるべきことをやって、結果を出した。対するジーコはどうだ?あるいは、そのジーコをことさらに擁護し、反対意見を圧殺し続けた川淵さんという人は?


とはいえ、僕にはかすかな期待があった。
それは、ジーコが一種の幸運を持っているタイプの人かもしれない、という点。アジアカップでのジーコ、W杯予選でのジーコは、肝心なところでツイていた。ご本人は監督としての力量のつもりだったかもしれないが、笑わせちゃいけない。尋常じゃないほどツイていたのだ。
その幸運ぶりが、あるいはご本尊の極端な無能さをW杯という最高の舞台にあってもなお補って、日本を勝たせてくれるかもしれない、そうだとすれば、もし本当にそれが現実になるのだとすれば、僕のような理屈屋さんは口をつぐむよりほかはない、という期待が、僕にさえもあった。
逆にいえば、もしそれがないのなら、彼ジーコはまったく何のトリエもない老耄したご神体でしかない、という思いがあった。

どうやら今日、わずか1戦にして、その結果は8割方、見えてしまった。彼ジーコは、稀代の幸運家ではなく、ただの老耄したご神体である、という結果が。
残り2戦、日本は奇跡を信じて戦うよりほかはないわけだけど、そういう気持ちさえ萎えさせるほどの、支離滅裂の采配ぶりではあった。彼が急死してくれたら、誰かが急遽采配を取るだろうから、ここまで酷いことはもう見ないで済むのに。
選手たちを応援する気持ち、奇跡を信じたい気持ちではそうそう誰にも引けは取らないと思うだけに、頭脳を獅子身中の虫のような暗愚者にゆだねたまま戦わなければならない現実が、歯噛みするほどに悔しい。


不世出のゴールデンエイジが経歴のピークを迎えた、この2006年代表を、不世出の凡将が率いるという、この巡り合わせの残酷。
この世の何が嫌いといって、僕は無能が上に立っている風景ほど嫌いなものはない。
八つ裂きにしていいものなら、あのアラヒトガミを八つ裂きにしてやりたい。
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