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Mon.

「限定された先制攻撃能力」の是非について

難しい問題。
「北朝鮮ミサイル:『敵地攻撃能力』持つべきか…議論浮上」
この手の話題になるとあっという間に思考停止して、「議論の余地なく」うんぬん、とか「○○というのは論外」、なんて言い回ししか浮かばなくなる手合いがいるけど、そういうのはそれこそ論外。
この問題は本当に難しいよ。

まず、たとえばなんらかの理由で政府が日本に向けたミサイル発射を察知して、「諸般の情勢から、本日○時前後にテポドンが東京・横浜・大阪に飛来すると思われます。政府は迎撃能力がないため、直接的にはこれに対処できません。国民は速やかに避難してください」という緊急の警報を出した場合、われわれ無力な国民としては「ああ日本に限定的な先制攻撃という選択肢があったなら」と思うのは確実。
その点だけを考えれば、それこそ「議論の余地なく」日本は限定的な先制攻撃の能力を持つべきだ、というリクツになるだろう。
ただ、現実の国際政治というのは当然ながらそうおめでたく単純なものではない。

たとえば、日本がそうした先制攻撃能力を持つ(あるいは持とうとする)こと自体が、なんらかの攻撃を引き起こしてしまう、という可能性がある。また、今後も続くであろう北朝鮮対策の国際的な議論のテーブルで、武装を強化した日本の発言が、従来以上にアジアの友邦の賛同を得にくくなり、平和的な選択肢自体を狭めていってしまう恐れがある。
さらには、先制攻撃の能力を得たことによって、それを「使ってみたい」層(そういう手合いがいついかなる時代にも必ずいる、と僕は思っている。世論の中にもそういう勢力は存在する)を活気づけ、日本の進む道自体を内から捻じ曲げてしまう危険性も無視できない。

およそ以上のような理由から、僕は世のニワカ右翼たちが「議論の余地なく先制攻撃能力を持つべき」だと言いたがるであろうことを予想しつつも、安易にそれに肩入れできないと感じている。
日本は、果たして、本当に「限定された先制攻撃能力」を持つべきなのだろうか。
そして、持つべきなのだとしたら、それは「どのように」限定された先制攻撃能力、であるべきなのだろうか。
結論はなかなか出せないけど、安易な気分で決めてはいけない問題だということだけはわかりきっていると僕は思う。
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21:58 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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