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Mon.

福岡3児死亡事故に人生の不条理を思う

これだけ冷静に、できること全部やって、それでも1人も救えないという現実の冷酷さ。
「叫ぶ母、わが子捜し4度海中へ 福岡3児死亡事故」
事故の詳細な内幕を伝える記事を初めて読んだけど、両親の事故後の一挙手一投足は、この記事を信じる限りにおいてはまさに完璧で、これ以上は過去に戻ってやり直したってできっこない。
子供は後部座席にいたってことだから、それだけ最初の事故(追突だった)での衝撃が激しくて助からなかったんだろうか。何にせよ、気の毒としかいいようがない。


さらに怖いのは、こういう事故は、加害者になることが実はたやすいということ。
たしかに飲酒して追突して3人を無残に殺したこの件の加害者は救いようもないし許されるべくもないけど、たとえば飲酒運転を全然まったくしたことがない人は実は社会的には意外と少ないのじゃないかと僕は思う。
でもそのわりに、こういう悲惨な事故があると、我が身を振り返りもしないで「こんなやつは死刑にしたらいい」というたぐいの放言を書き連ねだす人が少なくない。・・・具体的にいってしまうなら、特にミクシィの「この記事について日記を書く」機能を使ってる人々には、どういうわけか笑っちゃうほどその手の放言屋さんが多い。(笑)
危ないよ、そういう人が一番。

あるいはまた、飲酒なんかちっともしてなくても、なにげなくスピード違反しつつ道を通りかかって、魔が差してドーン!・・・という可能性だって、実のところごく普通にある。
そういう魔が差したときの信じられない兼ね合いなんてものは、どこのマスコミだって伝えてなんかくれない。
あるいは、上司に無理矢理薦められた酒、なんてのもアリガチな話だよね。そのとき、その場では、なんとなく、他人に無理矢理薦められた、うまくもない酒で、自分が好き好んで飲んだわけじゃないから、帰りの車中でもあまり罪悪感なんかは感じずにいる。
でも、はっと目の前の車に気づいたとき、その車は欄干を突き破って水の中、パニックになってアクセル踏み込んだその瞬間に、自分は飲酒運転で3人殺した人間の屑で当て逃げ犯、なんていうたぐいの罠は、人生にはごく普通にある。


しかしそういうのぜんぶ考慮しても、やっぱり、人を死なせてしまったら、すべて空しくなってしまうんだよね。世間のバッシングに対して、言い返す言葉もないし、なにより本人がもし真人間なら、自分自身の良心の呵責から逃げ場がない。
殺してしまう方も、身内を殺される方も、もちろん殺されてしまった当人たちも、すさまじい。僕やその他の、彼らよりは運のいいとおぼしき普通の人々からしたら、そんなのは非日常もいいとこだけど、彼らにとってはその事故の瞬間から、その非日常こそが日常になって、一生付きまとうわけだから。
悪夢だろうと思う。身近な人たちにしたって、それをせいぜいお相伴して、100万分の1ずつでも共有することでしか、その人たちの役に立つことはできない。でももちろん、役に立ってあげられない周囲の辛さより、役立ってもらう期待すら持てない非日常を生きる当人たちの辛さは言語を絶して大きいわけで。

僕自身や、僕の好む人たちには、せいぜい幸運を祈るよりほかはない。こんな事件に巻き込まれたら、人生そのものに修復不可能なひびが入ってしまう。そのことを誰にも止められないし、守ってあげられる人もいないし、修復の手伝いをしてあげられる人さえほとんどいない。
いくらでもやり直せる、なんてノーテンキにうそぶいてはいられなくなる・・・のは、僕程度の苦難でもすでに現実レベルになってしまってる話だけど、恐らくはそれどこじゃないほどに深刻に、そして何より、何の前触れもなく突然に。
悲惨だよ、本当に人生が狂うということは。
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02:09 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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