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Tue.

ルミナリエの発展的な終わりを願う

祈りを込める人たちを思えば複雑ではあるけど、規模縮小や幕引きも視野に入れるべきだと思う。
「鎮魂祈る『ルミナリエ』に黄信号―神戸」

あからさまにいえば、ライトアップという手法自体の前近代性、ということがどうにも気にかかる。
灯篭送りとかとはワケが違う。膨大な電気を消費して、果たしてそれがまっすぐな追悼の思いの発露ってことになるのか。
あまりにも華美だ、というのが率直な印象で、そして遠慮なくいえば、あまり美的な質が高くないと思う。ルミナリエに限らず、この手の電飾の「美」は。

神戸の街がまだまだ復興途上だったころ、あの過剰なくらいの電飾の美は、見る人を力づけたのかもしれない。その場に居合わせて、いろいろなものを失い、神戸の街の壊滅を目の当たりにした人でなければわからないほど切実に、それは希望の火だったのかもしれない。
でも、その時期は、震災後12年目を迎えて、そろそろ過ぎ去りつつあるのではないか、とまったく部外者の関東モンながらも(?)僕は想像する。もう、そろそろだろう、と思う。

今年は、僕の間違いでなければ12年目のルミナリエということになるわけだから、こういう節目の年をうまく利用して、発展的解消の道を探ることはできないものだろうか。最後のルミナリエです、ということになれば、伸び悩んでいる寄付だってきっと例年以上に集まるだろうし、人も来る。
その後は、ごくありふれた例でいうなら、もっと固定的なモニュメントなどに形を変えて、鎮魂と復興への思いを残していく、という方向性を模索すべきときなのじゃないかと僕は思う。
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04:08 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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