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Fri.

鬱の嵐の吹き抜ける夜に

・・・まずい。
急激に鬱になって眠れなくなって、居ても立ってもいられなくなって起き出してしまった。
こういうときに考えるのは、もう手遅れなんじゃないかってことだ。
10月になる(というか、もうなってる)ことなんか思い出すんじゃなかった。

そういえばニートに関する議論。
日本にニート52万人、というけど、あれはあまり真に受けないでもらいたいね。
僕と同様、いろいろの現代病に取り憑かれて、死ぬ思いして孤立して、周りの理解も充分には得られないまま苦しんでる連中も、あの中にはとうぜんカウントされてるはずだから。
かくいう僕自身も、たぶん統計上は「ニート」の中に入る。
52万人が、「52万人」じゃなく、本当は「1+1+1+1+・・・」の総和だってことを忘れないでほしい。
一括で対策を立てようなんて考えるのは、政府や公共団体だけで充分だ。
訳知り顔でもっともらしい議論なんか、もうやめにしてほしい。

僕自身の手遅れ感についてだけど、それはやっぱり、たとえばWさんの能力が仮に掛け値なしの本物で、半年後や1年後にほぼ完璧に健康な肉体を取り戻したとして、いったいそこから僕は何ができるのか、とか。
いくら身体が治ったって、僕が持病に取り憑かれた中2の夏休み明けにまでタイムスリップしてやり直せるわけじゃない。
いったい何をどこまで取り戻せるっていうのか?
なんてことももちろんその1つだ。
いやそれどころか、治ったが最後必死で生活を立て直すために就職活動して、働いて、必要な資格があれば勉強して、・・・という、まるで社会復帰のためのリハビリみたいな惨めな暮らしが待ってるだけじゃないのか。とか。

こういう見通しはあまりにもネガで卑屈に映るかもしれないけど、でも考えてもみてほしい。
僕には物心ついて以来、健康な身体で生きていた時期というのがないんだよ。
健康な身体であれば、こんなことができるとか、そもそもこんなことが「したくなる」、ということが、感覚的にまったく理解できてない。
生きていたくなるものだろうか?強靭な意志の力と、自分自身への罵倒、激励といったものなしで?
僕は無理に無理を重ねて、無理ばかりしてきた、とこれまで飽きもせず書いてきてしまったけど、実のところ「無理をしてない」状態がどういうものなのか知らない。
無理があるのが当たり前で、無理を押して何かしているのが常態だった。

そこからどういうふうに価値観が変動していくのか、がわからない。
変動しないとすればそれはまた新しい地獄ってものだけど、Wさんにいわせればそういうものではないらしい。
身体と心は連動しているのであって、大きくいえば、性格そのものが変わってしまうらしい。
しかしそれは本当なのか?
いやつまり、一般論としては紛れもない本当のことだとしても、こう十数年にもわたって刷り込まれた虚無感が、きれいに雲散霧消して生きていけるものなのか?
雲散霧消は大げさとしても、気になって身動きがつかないような圧迫としては存在しなくなるものなのか?
疑念と不安は尽きることもなく。

忘れろ、やめろ、眠ってしまえ、と自分に言い聞かせても、思い出す流れに乗ってしまえば自分ではどうしようもない。
呻いてるか、ときどき叫ぶとかするか、してもがき続けなきゃならない。
それがあまりにも辛いから、今はこうして書いてる。
せっかく今日はわりとポジな記述を並べていたのに台無しだけど、しょうがない。
これが実情だから。
僕は顔を合わせる人たちや町行く人々に真人間だと思わせるのはとても上手だ。
というか、これまでの生活の中で熟練している。
でも薄皮一枚めくればこんな状態だ。
気も狂わんばかりに苦しいのを、ポーカーフェイスその他で包みきって、ここまで生きてきただけだ。
そのことを思うと、自殺衝動に似たもの(けれども、明らかに似て非なるもの・・・僕には自殺するという素質がそもそも欠落しているように思う)がこみ上げてくる。

なんて不毛な。
選択の余地はなかったけど、ここまでどうしようもないものだと知っていれば、僕はある段階で死を選んでいたかもしれない。
僕は幸か不幸か、人生のそのときどきには、どこか根の部分で楽天的だった。
どこかで好転するものだと信じてきた。
たとえば、2年近く前に今の治療法を始めたときなどは、その楽天的の最たる状態だった。
でも今は苦しい。
可能性を信じていないわけではないけど、過ぎていく1秒1秒の重みが苦しい。
それを、せめて人並みに生かし切ることは、今の状態ではまだまだ、とてもできない。
できないのだから焦るべきではないのだけど、それは机上の空論というもので、ちょっとした拍子に気が狂いそうな焦燥に駆られてしまう・・・。

どうも同じことばかり書いているような自覚があるけど、堂々巡りというのもまた鬱状態のときの1つの特徴で、驚くには当たらない。
だけどまあ、そろそろやめにしようか。
いくら書きなぐってみたって、これを読んでくれるのは僕の窮状をある程度まで理解してくれている理解者の人たちだけだろうし。
その人たちにとっては、痛いだけであまり新しい発見もない文章だろうし。
書いてると気が紛れるってだけではね。
あまりにも自己満足すぎるってことになるだろうから。
こうなったらもう、4時半からのメジャーリーグでも見てやろうかな。
まったく、根がくたびれる運命を生きている。
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