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Fri.

経済生活のリアリティ

今日は朝からくたびれ気味で、ギターは最後まで手につかなかったものの、ウォーキングは実に調子よく、前へ前へと歩いてきました。
30分、ちゃんとスピードを落とさずに歩けたのは1ヶ月ぶり以上だな。
夜は疲れたのか、急にすとんと眠り込んでしまったりもしたけど、やっぱりコンディションの底上げができてきてるんだと思う。
このまま、最悪のスランプからだけでも脱出できるものなら、また曲を作りたいな。
僕の生活を圧迫している圧倒的な無為感と無力感に太刀打ちするために。


証明が必要なんだよ。やっぱり。
心から笑うことさえできずにこの十何年を生きてきて、それでもこの人生が無意味じゃないと言えるために。
経済生活が前提だ、そこが抜けたら本末転倒だ、なんていわゆる正論を聞くと、毒々しい笑いがこみ上げてくる。
「生きる」こと自体を肯定できない限り、明日のご飯の意味はリアルにならないだろう?
まあまあ健康に生きてきた人には、何十歳になろうがわからない部分なんだろうけど。
極楽トンボの言うセリフだよ、そんなのは。


僕はずっと、夢を語ったことがなかった、と思っている。
小説を書こうが音楽を作ろうが、それは全部、地獄の底から這い上がろうとするもがきに過ぎなかった。(何が地獄?という人はプロフィールの略歴参照)
生きることに必然性があった時期というやつがなかった。
ただただ、意思の力で維持してきただけで。

生きることに必然性を感じている人は、どこかで遊んで楽しかったりする。
どこかで遊ぶために、高校時代にどこかでバイトしてみたりする。
バイトしてためたお金でどこかに行って遊んで、やっぱり楽しかったりする。
そして正社員をしてる先輩におごってもらって、正社員はやっぱりバイトより稼げるんだなあ、ちょっと大変そうだけどある意味うらやましいな、と思ったりする。
海外旅行を夢見て、時給いくらで働いてやっとためた何十万を投入して、どこかの国を見てきたりする。
あるいは、念願の車を買ったりとか。
そうこうするうちに、自分も正社員だったら、時間的には苦しくてもお金って意味じゃいろいろ自由になるんだよな、なんて頭の隅で気づいていったりする。
そして、時が来て就職活動をしなきゃとなったときに、考えようによってはそれも悪くないかな、と思えるくらいの境地には達していたりする。

そうした過程のすべてが、僕の人生からは欠落していた。


僕は今、まだ働きたくない。
小手先のバイトならともかく、ちゃんと働いて生計を立てたくない。
生きる必然性のないところに、金を稼ぐ必然性はない。
ましてや精神的には鬱、体力的には虚弱、持病も完治とはほど遠く、といった現状にあってはなおさらだ。
僕はまず、生きることを肯定できるようにならないと。
そのためには、何よりも身体を治すことが先決なのだけど、それも一朝一夕にはいきそうにもない。

だから僕は、さしあたって次の曲を作りたい。
もちろん、いま現に飢えて、明日の食料のために理も非もなく働いている人々と比べれば、多少の甘さは否めない、とは思う。
ただそれでも、僕は僕なりの筋を通しているつもりだ。
僕の青年期は生きることだけで精一杯のうちに過ぎたけど、そこでは生き死には常に食料(経済)問題じゃなく、自分の生活の無意味性という形をとっていた。
それだけでも充分、持病の問題とあいまって、発狂せんばかりのリアルな苦しみだった。
太宰治じゃないけど、僕にとって「食わないと死ぬ、だから稼げ」という理屈は全然まったく、リアルじゃない。
僕は現に生き死にの境を漂い続けてきて、そこで僕を支えてくれたのは常に表現することへの努力であって、金や食料ではなかった。
実際は親のスネをかじっていただけにせよ、僕の心情では、金どころではなかった。


そして僕を取り巻く状況は、僕の主観の中では、少しも変化していない。
身体の問題は十数年にわたって僕を蝕み続けてきているし、僕は表現することで自分自身を支え、鼓舞し続けてきた。
これをやめるわけにはいかない、と思う。
それでもほかの生き方があるというなら、教えてもらいたい。と思う。
僕はまだ、これを続けていかなければならない。
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