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Tue.

フラッグの思い出

今から4年前の、ほぼこの時間。
僕の愛犬「フラッグ」がこの世を去りました。
短足でガニ股で頭でっかちの、ちょっとバランスのおかしな、でもれっきとした純血種のアメリカン・ビーグル。
不思議なくらい愛嬌のある犬だった。
特に晩年、病気が多くなるに従って僕との間も打ち解けて、とにかく表情豊かな、スヌーピーの実写版みたいな犬になっていた。

薄れつつある記憶に従うなら、11月22日の日中に、彼は完全な下半身不随に陥った。
その数日前から排便がなくなっていたから、後から思えばあれはたまった便による神経の圧迫だったかもしれない。
これはひそかな後悔の種で、僕が敏感に察して浣腸器を買ってくるなりしていれば彼はまだ生きられたんじゃないかという。
でも、当時の僕は愚かにも、そういう可能性には思い至らずに、より身近で看病しようと玄関にスペースを確保して彼を運び込んだだけだった。

しかも、そのたかだか10メートルの搬送が彼にはかなり骨だったらしくて、様子は明らかに悪くなった。
ただそれでも、僕は彼が急に死ぬというような気はしなくて、ひょっとしたら下半身不随のまま、意外にあと何年も腐れ縁のように生き続けるのではないかという気がしていた。
「いかにも病人って感じになっちゃった」と母に言ったのを憶えている。


そうして、深夜3時10分ごろ。
僕は当時愛飲していたウィスキーのオンザロック片手に居間の共有パソの前に座り、ネット上をウロウロしていた。
突然、玄関から聞き慣れた、でもいつもよりも切迫した甲高い悲鳴が断続的に響いた。
そしてそれと同時に、ただならぬ息遣い。
僕は早足に、でも比較的落ち着いて駆けつけたように思う。
そして、彼が胃の中のものを少し吐きながら、横たわって苦しんでいるのを目の当たりにした。

慌ててかがみこみ、頬をなでたりしたものの、現実感はあまりなかった。
恥ずべきことだけど、酔っ払っていたから、だと思う。
これは「死」だ、という認識が芽生えなかった。
ただ、まさか、と思い、「冗談じゃないよフラッグ」、とだけつぶやいた。
激しい息遣いはたちまち乱れて弱まり、僕の犬は息を引き取った。
唇がひとしきり、呼吸の名残のようにして何度も何度も震えていた。
もう心臓は止まっているのに。
それを見て、もう1度生命を呼び戻したくて、強く身体をこすったりしたような気がしないでもない。

でももう、どうしようもないことだった。
ぼんやりとした頭のまま、これからどうしようかと考えながら、「よく生きた。よく生きたよ。お前には何の不満もないよ。よく生きてくれたよ。・・・」とつぶやいてみたら涙が滲んだ。
尻尾のあたりを見ると、硬い便が少量洩れていた。
死体をどうするかはまだ決めていなかったけど、便を見られることは死んだ犬が嫌がりそうな気がしたので、吐瀉物と共にスコップですくって、たしか庭に埋めた。
家族にもそのことについては何も言わなかった。


それから、物置からダンボールの箱を取ってきて(玄関での寝床代わりだった箱をそのまま流用したような気もする)、犬の身体を抱きかかえて箱の底に静かに横たえた。
フタをして、その上に鉄アレイで重石をし、青いマジックインキで「3時過ぎ、容態急変。死去」というようなことを家族のために書いた。
それからパソの前に戻って、当時の行きつけの持病に関する掲示板に犬の死について書き込んだりしてから寝た。
寝る前に、ずっと何も書いていなかった日記用ノートに長々とフラッグへのメッセージみたいなものを書いた。
書いていて涙がこぼれた。

僕は彼の生きている間じゅう、ずっと持病やら何やらで苦痛の中にいて、でもいつかここから抜け出すんだと念じていて、そして抜け出した後の僕の時間を、彼にも共有してほしいと願っていた。
だから僕が人間らしい余裕を取り戻す前に、彼の死という断絶のときを迎えてしまったことが悲しく、悔しくてしょうがなかった。
それでも、彼は年齢的にはもうおかしくはない歳になっていたから、諦めと、それに何より、感謝の気持ちも大きかった。
常に明るくて、「生きる」ということを決して疑わない、誰よりも僕に身近だった犬に恥ずかしくないような生き方をしていきたい、と強く思った。
そして、彼は果たして、僕と一緒に生きて幸せだっただろうか、と考え続けた。


翌日。
たしか昼過ぎに、母と相談して埋葬場所を決め、僕は彼のダンボールの棺を玄関から庭先に運び出した。
蓋を開けると、死体はまだきれいだった。
それでも毛並みが少しだけ黒ずんで陰気に見えたのは、空一面が白く曇っていたからかもしれない。

母が庭の黄色い花を摘んできて、死体の上に添えた。
それが妙に似合った。
「眠っているようだよ」、と母は言い、涙声になって目頭を押さえた。
彼が晩年、毎年夏になると、暑さに弱いので避難していた木の下の近くに、スコップで大きな穴を掘ってあった。
そこに彼の棺を運んで、棺ごと埋めた。
その上にコンクリートの板を置き、さらに埋めた。
余った土を盛っていくと、小山のように盛り上がった。
その後はもう、やれることもなかった。


いい墓ができた、と思うことで僕は少しだけ落ち着いた。
1月もしないうちに、ダンボールの棺が陥没したらしく、小山は崩れて平らになってしまったけど。
そしてそれが、僕がフラッグのためにした最後の作業になった。
あれからちょうど4年。
長いようで短いようで、肝心の僕はといえば、未だにあのときと同じ苦痛の中をフラフラしている。
せいいっぱい前向きに生きているつもりだけど、果たして彼は認めてくれるだろうか。
思い出すと、少しセンチメンタルになってしまう。

今も庭には、彼が生前暮らしていた6畳サイズの囲いと、その中の茶色い家とがそのままに残っている。
ときどき、今は開け放たれたままの囲いの中で、ノラ猫の子猫たちのじゃれ合う姿が見られる。
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03:51 | 人生観 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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