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Mon.

画家たちの混沌のパレット

ここしばらく、ある絵画サイトを頻繁に覗くようになった。絵を公開してるサイトにしては珍しく、すべてアナログな水彩の絵なのが目を引いて、それで通うようになったHP。
ただ、その人は最近は絵を描いていないらしくて、僕にはそれがちょっと不思議だった。

僕の目で見た範囲では絵はとても上手で魅力があるし、なにもそんなに力みかえった大作ばかり描いてた感じでもないのに、なんでやめちゃったのかなと思って。
それで、掲示板でそれとなく訊いてみたんだけど。
そのときに思いがけず、絵にまつわる面白い話を聞かせてもらうことになった。


最近描いていないのは、要は忙しいってことらしいんだけど。
ただ絵をやめたときに、それまでずっと使ってきて、使いたい色がいつでも出せるようになっていたパレットを洗ってしまって、そのことはすごく後悔した、と。
その話を聞いて、僕は画家ってものが画風の変化とともに育てていくのであろうパレットというものに、にわかに強い興味を感じてしまったのだった。

水彩でこそちょっと珍しいケースってことになるみたいだけど、油彩の人は、一般にパレットを洗わない。
僕もそのことは耳学問で知っていて、そういうものなんだと単純に思ってきたけど、でも実はそうやって描いた絵の歴史とともに変化していくパレットというものは、画家の画風の中である一部を確実に担っているはずなんだなと思って。


青の時代のピカソは、どんなパレットを片手に絵筆を振り回してたんだろう。とか。ド素人の空想力にまかせて、あれこれ想像してしまいました。
画風の劇的な変化とともに、ピカソの左手のパレットの色彩分布(?)はどんなふうに変化をしていったのか、ピカソみたいな連中にもそれまでつちかった画風を捨てて、「パレットを洗う」ときがあったんだろうか。とか。
絵の技巧的な部分ではなくて、そういう人間的な部分にすごく惹かれてしまった。

深化していく画風と、画家たちの混沌のパレット。
何かそこには深沈とした、ある意味人文的なテーマがあるのだなあと。そう感じたわけです。
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