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Sun.

「2001年宇宙の旅」を見る

6時ごろからウォーキングした後で、キューブリック「2001年宇宙の旅」。
大した予備知識もなく借りてきたんだけど、これも「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同様、賛否が極端に別れる映画だったらしいね。
で、結論からいうと、僕は「眠くなった」組でした。
宇宙を舞台にしたとにかく壮大で哲学的な物語、ってことみたいだけど、あるのは映像的イメージだけだな、と。
1968年の作品ってことで、時代的な限界をはるかに超えた映像的洗練には驚くよりほかないけど、これに古典的名作としての価値を見出すのは、どっちかといえば哲学的なものに免疫のない人たち──たとえばSFオタクたち──なんじゃないだろうか。
見掛けほどの深いものは僕は感じなかったな。

1968年といえば、いま調べたところでは、手塚治虫の「火の鳥」の第一巻が出版された年。
どっちがどっちに影響を与えた、って可能性は確率的には低そうだけど、テーマには驚くほど共通する部分を感じます。
そしてキューブリックは純・映像的に、手塚治虫は映像的なものをも意識しながらもより純・哲学的に、この壮大なテーマを消化した。
ってことになるんだと思う。
そして、この間の「ジョン・マルコヴィッチの穴」のときにも同じようなことを書いたけど、この映画のテーマもまた、日本人にとっては得意分野だと思うんですよ。
それは、ごく乱暴にいえば「輪廻転生」の思想。
火の鳥では露骨にそれが下敷きになり、キューブリックの場合は基本的には欧米的な価値観に立脚しつつも、やっぱり同質のものを表現していると思う。
そして、手塚治虫の方がよりテーマそのものに対しては肉薄していると僕は感じる。

「2001年~」の終盤のイメージの連続を「難解」と称して尊んだり、その解釈に悩んだりする人たちは小さな間違いを犯しているように思う。
最初から映像的に解釈されているものに、「解」などありうるはずもない。
表現している当のキューブリックも、自分が何を表現しようとしているかなど把握してもいなければ、その必要性を感じてさえいなかっただろう。
むしろ純映像的なイメージを畳み掛けることで、そういう混沌とした混乱の中に視聴者を落とし込もうとしているわけで、彼らのように気持ちよく混乱してくれればキューブリックはしてやったりとほくそ笑むに違いない。
エンターテイメント映画としては、それだけで立派に成立しているわけだから。
それ以上にことさらに難解がって、その意味するところを考え抜いたりするなどは、はっきりいって無駄なことだろうと僕などは思う。

もし本気で難解なものに直面したければ、手塚治虫の「火の鳥」の方をお奨めします。
こちらなら、いくら考え抜いたところでそうそう無駄にはならないと思うし。
キューブリックについては、いずれ見てみるつもりの「機械じかけのオレンジ」に期待を託すことに。
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