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ブラック・ジャック映画化妄想

手塚治虫作の“ブラック・ジャック”は、僕が最も映画化したい作品のひとつだ。それも実写版で。
これまでも、アニメ映画なら2,3あったようだけど見た範囲では原作無視の駄作ぞろいだったし、実写版ではTVドラマを見たことがあるが、これも2分くらいしか持たなかった。
どれもこれも、失笑するにも値しない出来ばえだった。それらの作品に携わった人たちとはたぶん、僕がブラック・ジャック俳優に望みたい条件からして違っているんじゃないかと思う。


まず、BJ俳優はある程度、美男でなければならない。これは誰しも共通して挙げたくなる条件だろうが、ただし正統派ど真ん中の美男ではちょっと困る。
眉や顎などの線がやや強すぎる、少し「濃い」感じの、やや精力過剰な印象さえ受ける顔。しかし粗野でも快活でもなく、むしろ陰性の顔。年齢は、30を越えたくらいがベストだろう。
体格は、中肉中背よりやや痩せているくらいが理想的。ひょろひょろでは困るし、小柄も大柄もちょっとやそっとならいいけど極端は困る。
役の作り込みや演技力はもとより、これらの要素を外面的な資質として兼ね備えていてほしい。
俳優という人種に疎いせいもあるが、僕がBJにふさわしいと思えるような俳優は今のところいないような気がしている。

と、こう並べてくれば、BJファンの中には「けっこう普通じゃん」と言いたくなる人もいるかもしれない。
実際その通りで、このあたりまでは共感してくれる人が少なからずいるということは僕にもわかっている。
問題はたぶん、ここから先だ。


BJ俳優には多かれ少なかれメーキャップが必要だということはファンなら誰しも知っているだろうが、僕はそこで一つ“僕の”BJ像を確立したいと思っている。
彼は小学校時代に悲惨な爆発事故にあって、ぼろきれのような状態から手術に手術を重ねて蘇生した。その後、さらに過酷なリハビリとトレーニングの末に奇跡的に健常者(それも強健な)になった、というルーツを持っている。
これを、緻密なまでに反映させたメーキャップを施したい。
原作中でも、BJはたびたび通りすがりの人々にコソコソと「気持ち悪い」「不気味」「フランケンシュタインみたい」……などなどの陰口を叩かれている。
ただその一方で、彼にはなかなか女にもてるという一面もあって、ドラマなどでは結局、顔にあざのある美男、という程度でお茶を濁しているのが常だ。
これを根本的にくつがえす。

ぱっと見た印象は、陰惨なまでに事故の傷跡が残る、まさに奇形的な姿に変えてしまう。
なにもことさらに大げさにしようというわけではない。ただメーキャップをしたまま街を歩けば周囲の人込みに空間ができ、ヒソヒソとささやき交わす声がするくらいまでは持っていく。
その姿で歩くBJは、ただし常に悠然として悪びれず、胸を張って、落ち着き払った足どりでいてくれなければならない。
かくして、せっかくの美形俳優起用も空しく、BJは原作どおりの奇形的存在としてスクリーンに登場することになる。ミーハーなファンたちからブーイングが起きるくらい衝撃的に、そのままお化け屋敷に紛れ込めるくらいまで作り込みたい。


それなら美形俳優なんかいらないか、というとそうではない。
BJは原作でもたびたび、人に横顔や背中を見せて言葉を交わす。たとえば、患者の容態を心配する付き添いの女と話すときに、彼女には半ば背を向け、窓ごしに庭を眺めながら話す、などのシーンがよく出てくる。
そういうふとした瞬間に、はっと息を呑むような美しさ──顔のラインでも曖昧なシルエットでも、あるいは薄暗がりの中で毅然と光る眼でもいい──を添えてみたい。
この奇形の天才外科医は本当なら、相当な美男だったかもしれない。事故に遭う前は、かわいい小学生だったのかもしれない、と、胸を突かれるようなインパクトを与えられれば本望だ。

ただいうまでもないことだけど、それはお決まりのお涙頂戴の悲劇性を演出するためではないし、ミーハーなファンに迎合するための工夫でもない。
BJは、最近あまりにも注目されすぎたためか、恐ろしく広い人気を勝ち得てしまっている。それをいったん壊すくらいのつもりでやる。スクリーンに現れた彼を見た瞬間に、潔癖な人なら嫌悪を感じるくらいの奇形性。
悪役に見えてしまっても一向に構わない。これでもあなたはBJが好きですか、と問いかけたい。
たとえば元ハンセン病患者たちの顔を見て、目をそむけずにいられない人にはBJを語ってほしくはないし、そういうBJでなければ彼の貫く人間としての尊厳の意味は消えてしまう。


そこまで徹底して創りこんで、しかしなおかつ、その風貌をメインテーマにはしない。
彼はその風貌を抱えたまま、たいていは淡々と、時には毅然として、自分に割り当てられた宿命を生きている。
僕は常々、ブラック・ジャックを孤独や哀愁だけで捉えようとするのは間違いだと主張してきた。あれはあれなりに、ひとつの幸せの形を描いた物語だと僕は今も確信しているし、はっきりいえば、ブラック・ジャックをどこにでもいる月並みな悲劇のヒーローの一典型に貶めたくはない。

僕の描くブラック・ジャックには、もっともっと誇り高い存在であってほしい。
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