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Sun.

NHK大河ドラマの終焉

今日はNHK大河ドラマの武蔵を見た。2分くらいだけど。
有名な「一乗寺下がり松」の決闘シーンだったようで、武蔵は追いすがる敵の手勢と戦いながら、田んぼの畦道を逃げていた。
名シーンのはずだけど、どうして2分しか見なかったかといえば、それはあまりにも描写にリアリティがなかったから。

武蔵が、走っていないわけです。何十人もの敵に追われていながら。
武蔵が、鬼のような顔で振り返る。その形相に射すくめられて、敵がたじろぐ。田んぼにずり落ちる。武蔵が、剣を構える。敵が後ずさる。・・・なんていう描写ばかりで。
もともと、原作の吉川英治の作品自体もヒロイックな感じが強すぎてあまり好きではなかったんだけど、あんな甘ったれたふざけた描写は原作にもなかった。


同じ吉川作品を題材に、だいぶ前に撮られた映画シリーズも最近少し見たけど、そっちはいくらなんでも2分でげんなりなんてことはない。
魅力的なシーンに引き込まれて、結局途中から終わりまで見てしまったのもあったくらい。
僕がいってるのは、若いころの高倉健が佐々木小次郎役で出てるやつのことですが。

そっちの作品の、同じ一乗寺下がり松と比べてみると、その差は歴然としてる。
そっちの武蔵は、死に物狂いで走る。意味のわからないことを叫び、田んぼの泥にまみれ、悪鬼というよりはほとんど断末魔の形相で、猟師たちに追い詰められた手負いの猪のようになりながら見苦しく逃げる。
ただ生き延びるためだけに。
100人近い吉岡一門を相手にした決闘に、ひとりで挑んだダンディズムはもう跡形もない。潔さなどカケラもなく、ただ生きることへの執念だけがぎらぎらと伝わってくる。


武蔵というのはもともと、実在したことは確かだけど、経歴に謎の部分が多い。
小説家や演出家、映画監督にとっては、作りこむ余地がいくらでもあって、さぞ魅力的な素材ってことになるんだろうと思う。
だけど、NHK大河ドラマの、あんなオママゴトみたいな武蔵なんか僕は捏造されたくはない。
剣だけを頼りに、名声欲にも出世欲にもひと一倍燃えながら諸国を渡り歩いた剣豪が、あんなミメウルワシイ気色悪い立ち回りを演じて生き延びられてたまるかといいたい。

べつに、多くを期待して見たわけじゃないんだからここまで怒らなくてもいいのかもしれないけど。
もともと、「お通さん」役が米倉涼子だと聞いた時点でおよその見当はついてはいたんだけど。
だけど、それでも。いくらなんでもあれはひどすぎた。
必死で生き抜いた過去の人物を、その人格の本質に迫る努力もしないで汚さないでほしい。


NHKの大河ドラマに関しては、実はここ数年かなりアタマに来ているのです。
この前(前の前?)の前田利家しかり。
あの天才児の織田信長がソリマチだってぇ!?・・・という衝撃に始まって、それから今川勢との小競り合いのシーンをちらっと見て、それで全てが終わった。
今川方のちゃんとしたサムライたち(鞍のついた馬に乗って、きらびやかな鎧を着ているんだから野武士ではない)が、利家たちの治める農村に攻めてくるんだけど。
まず、彼らが何を狙って攻めてきたのかがさっぱりわからない。それらしい伏線もなかったし。

正規のサムライが、何の意図もなくはるばる動員されて、大したものがあるでもないちっぽけな農村に押し寄せてくる、という時点であのエピソードのリアリティはゼロです。
しかも彼らは、利家の統率する百姓たちやそのカミさんたち(!)に、クワや投石で追い立てられて、ほうほうの態で逃げていく、という設定。
あのシーンの時代考証はどうなってるんだろう。
なんにせよ、1、2世代後に見られても恥ずかしくないドラマを作ろうという意志は、前田利家にも今回の武蔵にもまるで感じられない。
そんな気は最初からない、という制作サイドの姿勢がありありと伝わってきて、本当にムシズが走る思いだった。


昔からその程度のシリーズだったんなら、ゴミは最初からゴミなんだし諦めはつきます。
むしろこんなに正気で怒る方がバカってことになると思う。
だけど、かつてのNHKの大河ドラマにはもうすこし上等な意志が感じられた。
それが気のせいではなかったのを僕が確かめたのは、去年か一昨年に1放送回分だけ見た「風林火山」の再放送だったんだけど。

信玄役は中井貴一で、そのキャスティングは個人的にはどうかと思うものの、全編を貫くコンセプトは明確そのものだった。
まず、ドラマ中の大部分を占める屋内シーンで目についたのは、極端なまでの画像の暗さ。特に夜の場面にもなると、隅の方にいる登場人物なんか、とっさに全身が見えないくらい。
どろどろとした重苦しい空気までもが伝わってくるようで、それはリアルタイムで見ていた当時には幼かったせいか気づかないでいた部分だったから、改めて目を引かれた。

そしてそれと鮮やかなコントラストを描き出す、出陣シーンでの空の明るさ。
だけどもちろん、現実がそうであったとおり、華やかな出撃の場面なんてものはドラマの中でも本当に稀で、大抵の回はほとんど屋内のシーンばかりで進行していく。
だからこそ、広い空の下での戦闘の華々しさや、その中で訪れる生き死にの生々しいやりとりが、まざまざとこちらに迫ってくるようだった。

それから10年あまり、ってことになるのかな。
NHK大河ドラマは地に墜ちた。
今回の武蔵なんか、主演のひとが武蔵の姿で記者会見するのを見たときは、なかなか迫力があったからちょっと期待したりもしたんだけど。
その後で脇役のキャスティングを聞いていくうちに、ああ今回もダメだ、と思って。
案の定。


どうせ作るなら、マトモな歴史ドラマを作ってほしい。
“マトモ”の定義は本当に難しくて、僕なんかコメディタッチの「竜馬におまかせ」というドラマが大好きだったりもするから微妙なんだけど。
要は、過去に実在した人物たち、その時代時代を必死で生きて死んでいった人物たちに、あらん限りの敬意を持ってちゃんと相対しているのかどうか。
その結果なら、僕はどんな演出も受け容れられると思う。

敬意と愛着をもって扱っている限りは、どれだけデフォルメしようと笑いのめそうと構わない。
だけど僕が今日、武蔵を見て感じた怒りと、憎悪に近いような感情は、手前味噌になるけど宮本武蔵が生きてあの演出を見たら感じたであろうものと通じると思う。
武蔵は超人ではない。たとえ超人的な剣豪だったとしても、それとこれとは別の話だ。
彼もまた、ある時代に実在して、必死で生きて悩み、窮地に陥っては死にたくないと思い、名声や富に憬れては失敗を繰り返し、試行錯誤をしつづけた生身の人間だ。


ここまで書いてきたものを読んで、何をムキになって怒ってるの、という人もいるかもしれない。
だけど、このことについては僕は誰にどうバカにされようが構わない。
人間の尊厳というのは絶対に、ああいう世界観の中にあるものではないから。
僕はあの武蔵を決して認めない。
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