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Mon.

映画「エレファント・マン」を見る

たった今まで「エレファント・マン」を見てました。
よく作ったものだなあ、というのが第一印象。
奇形に限らず、不幸かつ数奇な境遇の人間を描いた作品の多くは、その奇形性や数奇性の描写をほどほどに留めて、万人受けする安全なヒューマン・ドラマに終始していることが多いものだけど。
この作品の「象男」ジョン・メリックは、そうじゃない。
白黒画面だからまだしもだけど、カラーだったら、さらには本人に面と向かって座られた日には、悲鳴を上げたくなりそうな無残な姿。
その絶対的な奇形性を大前提に置いて、そこから語り起こすあたりに制作側の熱意を感じました。

そして物語は、奇形の人間が無条件に人々に受け入れられていくような予定調和の幸福を歌い上げるでなく、かといって絶望に落ち込むでなく、ただ小さな希望だけを残して終わる。
僕は人や作品を語る上で「尊厳」という言葉をよく使うけど、奇妙なことにこの作品からは、人間の尊厳なんてものはべつだん伝わってこない。
19世紀末のロンドンに実在したというこのジョン・メリックは、哲学的というよりはむしろ詩的な感性で、与えられたものを素直に喜び、小さな安らかな満足を胸に生きようとする。
その満足は、僕のような俗っぽい人間にとってはなかなか想像しがたいものだけど、見ていて何の無理もなく美しい。
現実のこの人が果たしてここまで周囲の人々に愛されていたかは知る由もないけど、少なくとも映画の中のジョン・メリックが、あれだけの奇形にもかかわらず数少ない友人たちに愛されていたことは、当然のことのように映る。
いってみれば、尊厳という社会的な何かではなくて、彼はただ、彼らしく生きていた。
その結果として小さな満足と充足があり、幸福があった。
そういうことなんだろうと思う。


もちろん現実として、彼には大それた夢を見る余地がなかった。
内輪での小さな充足が、残酷なことだけど彼が夢見られるほとんど絶対的な限界だった。
そのことももちろん、ああいう人間性が形成されていく上での1つの要素ではあったのだろうと思う。
少数とはいえ、信頼できる友人たちに好かれ、気づかわれて、でも生活のほとんどを病院の一室で静かに生きていく日々。
彼は間違いなく、幸せだったのだろう。
でも、たとえば僕なら、耐えられない。ということを思う。
耐え難さにもがき、必死で自己実現を図り、その必死さゆえに友人を失ったりしながら、それでもなおもがくだろう。
その結果、彼のように愛されることもできなければ、自足することもできないまま一生を終えるかもしれない。
何がいいのかはわからないけど、僕は現実として、彼のようにはなれない、と思う。
境遇の格差はいうまでもないことだけど、それを抜きにしても多分、彼の感受性や生き方は、僕にとって真似しようにも真似られるものではない。

ただそれでもなお、このジョン・メリックにはリアリティがある。
実在のジョン・メリックはもっと複雑に悩み苦しみ、気難しい顔をして生きていたかもしれないけど、映画のジョン・メリックも決して浮世離れした架空の善人ではない。
僕が彼から学ぶべきことがあるのかどうかとなると、それはわからないことだけど。
人間の型が違うといえば、多分それっきりのこと。
でも彼の人格は美しく、人に愛されることを知っているし、与えられたものに満足して感謝することを知っている。
そのことはたぶん、人として幸せなことなのだろう。
僕の心に残ったのは、奇形の人々の行列が森の中を歩いてゆくシーン。
そして、波止場でジョン・メリックを見送る侏儒の男の笑顔。
「幸運を。・・・俺たちにはそれが必要さ」


しかし、若き日のアンソニー・ホプキンズが出てると知って、てっきり象男が彼なんだと思っていたら、若い医者の方だったとは。(笑)
エンドロールで初めて知った。
「羊たちの沈黙」のレクターのイメージとはずいぶんまた違うなあ・・・ハンサムだし。(ボソ
俳優の化けっぷりって怖い。
平凡だけど正義感に溢れ、ときにはそれを過信し、しかしふと立ち止まって、自分は偽善者だろうかと自問する。
あのおとなしげなエリート医者がまさかレクターとは。
まったく、・・・よく化けたもんだ。
「ハンサム」って死語だよな。
と思う人が7割くらいいそうなのでちょっと加筆。
実は僕もそう思って、言い換えを考えたけど、言葉がないんだよね、目下のところ。
しょうがなくグーグルに頼ることにして、「ハンサム 死語」で検索してみた。
そしたら出るわ出るわ。
「ハンサム(死語?)」「ハンサム(死語か?)」「ハンサム(死語)な」「ハンサム(死語)さんも」「ハンサ・・・(以下略

適当な言い換えが思いつかないんだったら、「死語だと知ってるよ、でも使ってるんだよ」的な照れ隠しなんか見せるなよ。
いっそ堂々と使えよ。
なんていいつつ、僕もこんな付記してるようじゃ同じ穴のムジナだけど。(ボソ
でも、代替語がないのに死語になってるハンサムっていったい何だろう。
死語って普通は、表現されるべき対象が消滅するか、さもなきゃ代わりに耳に心地いい新語が普及するかして消えていくものじゃなかった?
そう思っていたら、「ハンサムは、ハンサムな男が消滅したために死語になった」という趣旨の説明をしてるサイトまであったりしてもう大変。

それでいいのか?ハンサム。
そもそもこういう場合は一体なんて表現したらナウいの?(壊
ハンサムって言葉には何のこだわりも囚われもないので、他人がどう思おうとむしろ個人的に使いたくないくらいなんだけど。
「二枚目」もなんか違う。
「カッコいい」はニュアンスが完璧に変わる。
「イケメン」・・・カッコいいつもりで使ってる方たちにはお気の毒だけど、死語になる日も近いでしょう。
とにかく、言い換えがないのって迷惑なんですよ。
まったく困ったもんだ。
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