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Tue.

虫の夢からとめどなく連想

今日も夢見が悪かった。
白い何かの幼虫がたくさん出てきて、そこは木の上だったのかどうなのか、僕は虫を箸みたいなもので摘んだり押しやったりして下に落としていた。
そんなに激しい嫌悪とかはなくて、ちょっと嫌だなあ、という感じで事務的に。
自分が落ちる不安とかは別になかった。
次々と順調に虫を落としていって、でも最後の1匹がなかなか、葉っぱか何かの下に入ったり出たりして捕まえられない。
虫を全部払い落とせたら、すぐ近くでお椀みたいなのを被って閉じこもっている何かいとおしいものを引っ張り出そうと思っていたような気がするけど、よくわからない。
けっきょく捕まえられないでいるうちに目が覚めた。
昨日みたいなはっきりした悪夢というのとは違うけど、実に気がかりな夢だった。

「気がかりな夢」って、すごくいい表現だと思う。
有名なカフカの「変身」の出だしも、それで始まるんだよね。
というより、多分あの作品が、この表現の登場の最初なんだ。
「グレゴール・ザムザがある朝、何やら気がかりな夢から目を覚ますと、・・・」
優れた作家のたぐいというのは、大抵そういう決定的なフレーズをどこかに持っているような気がする。
たとえばドストエフスキーだったら、「○○は教え諭すように言った。」という表現がすごく印象に残ってる。
世間の「正論」を常に自分の側にひきつけて、相手がそれに歩み寄ることしか考えられない手合いの人物のセリフに、ドストエフスキーはよくこの表現を使う。
「妻たる者は、この世の誰よりも夫となる人物を愛さなくてはなりません。」Xは教え諭すように言った。
なんて具合に。
これは「罪と罰」のどこかに似たようなくだりが必ずあるはずだけど。

ドストエフスキーが生前、トルストイを激しくライバル視していたというのがときどきおかしくてしょうがない。
どっちも確かに、典型的な文豪タイプの長編書きだけど、レベルは段違いだろうと思う。
というより、ドストエフスキーというのは世界文学史上、人間の内面を抉り取る描写力という意味では間違いなくダントツの1位だ。
星の数ほどいるストーリーテラーの1人に過ぎないトルストイ(この言い方も理不尽なくらいの暴言ではあるけど)とは、その点が決定的に違う。
たぶん当時の文壇では、トルストイの方がはるかに人気があったんだろうな。
だからつい、彼も意識せざるを得なかったんだろう。
僕はトルストイは、何か「少年時代」とかいう自伝的な小説と「アンナ・カレーニナ」だったかな、何かそういう小説としか読んでなくて、有名な「戦争と平和」なんかはまだだけど、それでも小説家・思想家としての格調の違いははっきりと感じるよ。
救いをもっぱらキリスト教的な宗教的達観に求めて省みないトルストイと、キリスト教的価値観に依拠しつつもそれを超越した人間的課題という部分で突き詰めようとしたドストエフスキーとでは、ちょっと同じ天秤には載せられないとすら思う。

そんなに天才的にお利口なはずのドストエフスキーは、生前はたしか貧乏士官上がりの在野の社会活動家で、女を追いかけてスイスまで行っちゃって、挙句の果てギャンブルにハマって一文無しになって帰ってこられなかったり、中途半端に社会活動して捕まってシベリア送りになったり、バカなことをいろいろやっていた。
まったく、人間ってものはよくわからない。
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