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Sun.

自分自身へのちょっとした疑問

最近抱いている、自分自身へのちょっとした疑問。
なぜ、ことあるごとに「比較」によって物事を論じようとするのか。
この間のシロップ16gのときの、バンプオブチキンほかとの比較論(2/11付の日記)といい。
どっちかがすごく好きで、どっちかが大嫌いだというなら、それはそれでいいかもしれない。
でも、僕はシロップ16gには漠然と好感を持っているもののそこまで熱中しきれていないし、バンプはちょっと苦手というか、「複数の、個人的に一目二目置いている知り合いが評価しているから、たぶん何か僕にわからないよさがあるんだろうと思っている」という程度の状態。
要するに、褒めたり貶したり、と力こぶを入れる必要なんか本当はどこにもないわけだ。

苦手とか、好きじゃないとかいうことはある意味、どうしようもないことだと思う。
でも、それをいわば計量して、「比較」という文脈で論じようとするのは、一種の冒涜かもしれない。
そういう、当たり前といえば当たり前なことを、改めてちょっと考えた。
とはいえ、僕も僕なりに、歌というものが向かっていってほしい究極の一点、のようなものを常に思い描いていて、その一点を僕と共有していてくれそうな歌やバンドやアーティストを足掻くように求めているのではあるけど。
実例としてはコッコ、川本真琴、初期のスガシカオ、たぶんジェフ・バックリー、などがそれに当てはまる。

ただ、比較、という理不尽な態度で人の音楽なり小説なりをうんぬんするとき、果たしてそのことが免罪符となりうるものなのかどうかとなると、僕は自分のことながら釈然としない。
言いたいことを書き散らして、それでいい、とはなれない。
僕はやっぱり、職業評論家になるような人々とはちょっと立つ位置が違っているのだろうと思う。
書かずにはいられなくて現に書いているものの、最終的には何を生み出せるのかがすべてだ、ってことはよくわかっている。
たぶん、僕はこれからも傲慢な比較論を吐き続けて生きていくんだろうけど。
それと同時に、評論や比較論自体にはほとんど価値はない、ってこともジリジリと感じ続けていくんだろうと思う。
何ができる?何が生み出せる?と絶えず自問自答して。

文中に引き合いに出された挙句、批判されたり貶されたりするアーティスト諸氏にはまったく合わせる顔もないけど、僕は根本的には、何かやれてる人はおおむね偉い、と思っているから。
批評家なんて、そこで自足している限りは彼らにまとわりつくコバンザメみたいなもので、僕はコバンザメには別になりたくないし。
やっぱり僕は、何かが生み出したくてああだこうだと書いているんだと思う。
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