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Fri.

サッカーにおける審判への抗議について

サッカーの試合における審判への絶え間ない抗議。
ファンにとっては見慣れた光景ですが、日ごろサッカーを見つけない人の中には、強い違和感を抱く方もいるようです。
たしかに、抗議するのが当たり前、といったサッカーでの常識は、ほかのスポーツではまったく通じません。
でもなぜ、サッカーでの抗議はああも激しく、また回数的にも飛び抜けて多くなるんでしょうか。
このいわばサッカー独特の風習は、果たして改められるべきなのかどうか。

個人的には、サッカーの審判のジャッジというのは、「天候」や「ピッチコンディション」と同じ、環境の1つだと思っています。
もともと、たった3人の審判ですべてを把握しようとするには、サッカーのピッチはあまりにも広すぎ、競技の性質も複雑でありすぎます。
だから当然、判定基準にもブレが出て、審判ごと・試合ごとに大きく変わるし、選手たちも最初からそういうものだと思って戦っている。
そして、雨が降っていてピッチがスリッピーだから、今日はグラウンダー(ゴロ)のシュートを早めに打っていってみよう。とか、
審判の判定がシビアなようだから、今日はスライディングは控えめでいこう。
といった具合に、サッカー選手たちは常に環境を念頭においてゲームプランを組み立てていく。

ただし、「審判」という環境面の一要素が、ほかの天候などの要素と決定的に違っている点が1つあります。
それは、風向きやピッチコンディションと違って、審判の判断が「アピールなどによって左右される余地がある唯一の環境」である、という点。
そして、サッカーは本当によく見てる人ならわかると思うけど、滅多に入らない「得点」だけを争うスポーツじゃなくて、試合の「流れ」の取り合い、っていう側面が絶対的に大きい。
その視点から見ると、審判への抗議は、あまり美しいものではないにせよ、サッカーの欠かせない一面としての性質を帯びてきます。
もしサッカーが単に得点だけが楽しみのスポーツだとしたら、あんなにトライ&エラーの繰り返しばっかりのスポーツなんか、夢中で見たりなんかとてもできないと思う。

試合の流れっていうのは必ずしもボール支配率とは関係ないし、選手たちのプレーぶりいかんだけで決まるものでもなくて。
ある程度、目に見えない何かや、それに「環境面」や「チームの士気」にも左右されるもの、なんですよね。
その、「環境面」や「チームの士気」というレベルでの争いが、審判への抗議やアピールという形にもなってくるのだと僕は思っています。
たとえば、相手チームが抗議していて、自分のチームが抗議しないと、それは判定基準が不利になる(かもしれない)だけ、では済まなかったりするわけです。
士気が下がる、気で押される、位押しに負けてしまう、っていうようなことが、サッカーの試合では現実に起きる。
そういう部分でチームを高度に統率できる人は、たとえプレーぶりがパーフェクトじゃなくても、性格的に難があっても、サッカーの世界では居場所を見つけてると思う。
ビッグネームでいえば、ドゥンガとかチラベルトとか。

フィールド上で、野蛮な顔で激昂して審判に詰め寄ったり、過剰なチャージで相手選手を必要以上に吹っ飛ばしたりしてる選手が、フィールド外では知的な紳士だったりする場合もあって、面白いんですよね。
そういう選手に惚れ込んで見ていくと、試合全体で争われてる空気や流れ、得点が生まれる必然性をいかに醸し出していくか、なんてことが見えてくる。
ほかのスポーツ以上にサポーターの存在価値が重視されるのも、単に選手を勇気づける応援というレベルじゃなく、「流れ」の取り合いという側面から見たときに、彼らの応援が決して勝敗に無関係ではないからだと僕は思ってます。
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