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Sun.

107人死亡事故について初めて語る

踏み切りの異常を伝える発光信号の謎の誤作動により、対向の特急列車が100m手前で緊急停止。
奇跡的に二次災害を回避。
そんなニュースにちょっと感動。
まあこんな寝言を言っていられるのも、知り合いに一人の犠牲者もいなかった極楽トンボの薄っぺらな特権だけど。
しかしそういうドラマ性はさておき、二次災害が起こらなかったことは、まだしもかろうじて幸いだった。
鉄道事故で、それも火災とかがない純粋な衝突事故で、100人以上が死ぬなんて、それだけでもほとんどありえないような悪夢なんだから。


ニュースに出てきた数多くの遺族たちを見ていて、僕はほとんど不思議な感がした。
大半の人たちが、悲しみと怒りを深く鎮めた沈痛な、でも誇り高い冷静さをたたえた顔で、努めて落ち着いてマスコミの取材に答えていた。
なんでこんなに優れた人たちが死亡事故の遺族なんて立場に立たされてしまったんだろう、と思わされてしまうことがあまりにも多すぎた。
そしてそのことは、必然として、死んだ連中もまた、彼らとともに暮らし語り合って生きてきた、優れた人たちがひどく多かったってことを意味している。

僕は優れた人間が好きだ。
一人一人、みんな大事な命、なんて浅薄な空事には、酷薄なようだけどまったく興味はない。
優れた人には、生きていてほしい、と思う。
これは学歴とか知能とか芸術的才能とか運動神経とか、の話ではなくて、もっと高い、全人格レベルでの(つまり、もっとありふれた意味での)「優れた人たち」だ。
彼らが口を開いて語りだせば、僕はその人たちの背景を何も知らなくても、ああ優れた人だ、ということが直感的にわかる。
そして、彼らに不幸があったと聞けば、彼らほどの人たちがよりによって、と思わずにはいられない。
この心の働きは、僕自身の多難な半生の反動も多少はあってなのかどうなのか、自分でもどうにも止められない。


なんでこんな優れた人たちが、と思う。
あるいは逆に(まったく口にするのもおぞましいことだけど)ケースによっては、まだしもよかった、マシだった、と心をなだめてしまうこともある。
優れた人間が不幸になるのを見るのは、とにかく絶対的に嫌なのだ。
謝罪行脚のJR社長に「仏壇に声に出して謝れ」とか「聞こえないぞ、声が小さい」とか喚き散らしてる人も見たけど、あれは仕方のない感情というものだし、それにむしろ、この件の遺族たちの中ではどちらかといえば少数の姿であるようだ。

僕は自宅にいる時間が長いから、ニュースをほかの人たちよりはたくさん見た。
ニュースは所詮ニュースでしかないとはいえ、それでも比較的多くの時間、彼らの言葉を聞き、顔を見続けた。
そんなに、自分の中に沈めて耐えないでいいよ。
もっと、見苦しくなっていいよ、とむしろ言ってあげたくなるような、本当に苦しい人たちの顔を、あまりにもたくさん見た。
なんでこんな人が被害者や遺族にならなきゃならないんだ、とそのたびに思った。
故人の人柄や最後の日の行動を伝えるたぐいのお決まりの下世話なドキュメントさえ、消すに消せずに見入ってしまうことが多かった。
この事故は、いろいろな意味で、耐え難いことの多い事故だった。


立ち直ってほしいとか、言うに言えない。
立ち直れるものなら、彼らは立ち直るだろうし、彼らの中に立ち直れない人がいるなら、それは彼らじゃなくたって、僕が成り代わってみたって、やっぱり立ち直れないほどの痛手なのに違いない。
どうしようもないことがこの世にはある、と僕は何度も書いてきたけど、そしてそれは往々にして自分自身の半生を語る言葉だったけど、死というものは十何年という歳月の断絶よりもなお大きくて高い壁のようなもので、取り返しがつかないどころか、挽回のチャンスさえももう与えてもらえない、最後の絶対的な乖離なんだと思う。

はるか遠くでのんびりとテレビを見ていてさえ、ずいぶん悲しい思いをした。
彼ら自身の胸の内なんて、察することさえ満足にはできない。
ただただ、無力なものだ、と思う。
5/25 15:14追記。
下のリンク先の記事の中で、最初の手記を寄せているのが、内容的に見て明らかに、僕が事故直後にテレビで見た遺族の方の1人です。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050525k0000m040132000c.html
これを読めば、誰でも多少は、この文章を書かずにいられなかった僕の気持ちもわかるんじゃないかな・・・。
悲しいまでに平明に、すべてを見通してしまっている人。
しかも信じがたいことに、こういう人は、この事故の遺族のうちで、決してこの人1人だけではなかった。
こういう人に、僕はどうしても、遺族になんかなってほしくなかったのです。
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15:17 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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