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Tue.

ルミナリエの発展的な終わりを願う

祈りを込める人たちを思えば複雑ではあるけど、規模縮小や幕引きも視野に入れるべきだと思う。
「鎮魂祈る『ルミナリエ』に黄信号―神戸」

あからさまにいえば、ライトアップという手法自体の前近代性、ということがどうにも気にかかる。
灯篭送りとかとはワケが違う。膨大な電気を消費して、果たしてそれがまっすぐな追悼の思いの発露ってことになるのか。
あまりにも華美だ、というのが率直な印象で、そして遠慮なくいえば、あまり美的な質が高くないと思う。ルミナリエに限らず、この手の電飾の「美」は。

神戸の街がまだまだ復興途上だったころ、あの過剰なくらいの電飾の美は、見る人を力づけたのかもしれない。その場に居合わせて、いろいろなものを失い、神戸の街の壊滅を目の当たりにした人でなければわからないほど切実に、それは希望の火だったのかもしれない。
でも、その時期は、震災後12年目を迎えて、そろそろ過ぎ去りつつあるのではないか、とまったく部外者の関東モンながらも(?)僕は想像する。もう、そろそろだろう、と思う。

今年は、僕の間違いでなければ12年目のルミナリエということになるわけだから、こういう節目の年をうまく利用して、発展的解消の道を探ることはできないものだろうか。最後のルミナリエです、ということになれば、伸び悩んでいる寄付だってきっと例年以上に集まるだろうし、人も来る。
その後は、ごくありふれた例でいうなら、もっと固定的なモニュメントなどに形を変えて、鎮魂と復興への思いを残していく、という方向性を模索すべきときなのじゃないかと僕は思う。
04:08 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Tue.

モグリの先生

面白い。(笑)
「無資格の臨時教員、横浜・山手学院で11か月授業」

 横浜市栄区の中高一貫校、私立山手学院中学・高校(篠崎孝子校長)で教員免許を持っていない男性(37)が臨時教員として、計11か月間、数学の授業をしていたことが23日、わかった。

 神奈川県は、教育職員免許法違反にあたるとして、調査している。

 同校によると、男性は同市内で個人塾を経営しており、2004年4月、同校教師の紹介で臨時教員に採用され、約3週間数学を教えた。この後、今年7月までの間、教師の産休や休職のたびに断続的に採用され、計11か月間、中学と高校で数学を担当した。

最初の採用のときは、短期間の代用教員だったってこともあって、教員免許については面接のとき口頭で確認しただけで通しちゃったんだとさ。
そして、今回なぜそれが発覚したかといえば、学校側が彼を正式採用するために教員免許の提出を求めたから。当初、彼は提出を拒んだものの、やがて「実は持っていない」と告白し、そして辞職したんだとか。
山手学院っていうのはたしかそれなりの進学校だったはずだから、そこで正式採用を検討されたってことは、なんらかの意味で有能だったってことだろうね。

こういうのは本当に面白い。
このシステム化が進みすぎた現代社会で、するするっとシステムの網をかいくぐり、しかも実質的にはなんら悪いことはしていない、という痛快さ。
たぶん教員をやめて学習塾に戻ったってことなんだろうと思うから、警察もコソッと厳重注意くらいして、後はそっとしといてほしいなあ。
03:57 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Sat.

乙武さんブログ炎上の件

個人的に、乙武さんという人とはどうも波長の合いにくいところがあって、もともと興味は薄いんだけど、下のリンク先はその乙武さんの書いたごく短いブログ記事。
「紀子さま出産」

世間は昨日から「めでたい、めでたい」と騒いでるけど……
ひとつの命が誕生したことがめでたいの?
それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの?
どちらにしても。
これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。

聞くところによれば、たったこれだけの記述で彼のブログは「炎上」したんだとか。(笑)あっちこっちからあれやこれやが集まってきて「祭り」になったんだとか。
そういうのを見ててつくづく思ったことだけど、僕がまかり間違っていつの日か少しは名を知られるような立場になったとして、それでブログを立ち上げるとしたら、コメント欄は絶対に撤廃するね。馬鹿除けのために。それはわりとアリガチなやり口で、僕がわりと好きなダバディさんのブログもそういう体裁になってる。

コメント欄とか掲示板っていうのは、悪口を言う相手と精神的に正対することなく、吐き捨てるだけ吐き捨てたい手合いにとっては非常に楽な場所だ。
以前、とある社会派路上シンガーが、ビラを配りに団地に立ち入ったというので逮捕されて、それに対して裁判で立ち上がったということが特集されてテレビで流されたときに、その人の掲示板が「炎上」していたので、メールで「大変ですね」みたいなことを一筆書き送ったことがあったのだけど。
その人は過去にも掲示板が炎上した経験を持っていて慣れっこだったらしく、
「掲示板はあんなに騒ぎになってても、メールなんかでまとまった議論を吹っかけてくるような人はほとんどいなくて、メールをくださるのはたいてい応援してくれる人たちなんです。ネット社会っていうのはこういうものみたいです」
といって悠々閑々としていた。

実際、コメント欄であれば、いわば主文は上にあらかじめ書いてあるわけで、それを踏まえて騒いでるってことでどんなに空疎な駄文でもハクが付き、みんなと一緒に口を揃えて叫ぶことでいわば声量で他を圧倒することもでき、敵より味方の人数が多いと見るやたちまち態度がデカくなるチンピラの心理もあいまって、結果としてどんなに低脳でも低脳じゃないかのごとくに振舞える、というメリットがあるわけで、世の馬鹿どもにとっては楽園だろう。
その点、見かけは似たようでもトラックバックともなると、地に足をつけた情報配信能力(といっても、せいぜいが問題を整理して的確に伝え、その上で持論を展開する、という程度のごく一般的な能力だけど)と、ことと次第によっては自分自身のブログの方が「炎上」しかねないという「受け手に回る覚悟」をも要求される。
無責任に悪口雑音を吐きたいだけの連中には少しばかり荷が重い作業と、わずかながらも責任に似たものとが求められてくるわけだ。

まあしかし、今の乙武さんからすれば今さらコメントを拒否するのも火に油だろうし、まったく気の毒というよりほかはない。
今も昔も、世の中、読解力の乏しい馬鹿には事欠かない。有名人は大変だねえ。(醒
02:57 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Mon.

福岡3児死亡事故に人生の不条理を思う

これだけ冷静に、できること全部やって、それでも1人も救えないという現実の冷酷さ。
「叫ぶ母、わが子捜し4度海中へ 福岡3児死亡事故」
事故の詳細な内幕を伝える記事を初めて読んだけど、両親の事故後の一挙手一投足は、この記事を信じる限りにおいてはまさに完璧で、これ以上は過去に戻ってやり直したってできっこない。
子供は後部座席にいたってことだから、それだけ最初の事故(追突だった)での衝撃が激しくて助からなかったんだろうか。何にせよ、気の毒としかいいようがない。


さらに怖いのは、こういう事故は、加害者になることが実はたやすいということ。
たしかに飲酒して追突して3人を無残に殺したこの件の加害者は救いようもないし許されるべくもないけど、たとえば飲酒運転を全然まったくしたことがない人は実は社会的には意外と少ないのじゃないかと僕は思う。
でもそのわりに、こういう悲惨な事故があると、我が身を振り返りもしないで「こんなやつは死刑にしたらいい」というたぐいの放言を書き連ねだす人が少なくない。・・・具体的にいってしまうなら、特にミクシィの「この記事について日記を書く」機能を使ってる人々には、どういうわけか笑っちゃうほどその手の放言屋さんが多い。(笑)
危ないよ、そういう人が一番。

あるいはまた、飲酒なんかちっともしてなくても、なにげなくスピード違反しつつ道を通りかかって、魔が差してドーン!・・・という可能性だって、実のところごく普通にある。
そういう魔が差したときの信じられない兼ね合いなんてものは、どこのマスコミだって伝えてなんかくれない。
あるいは、上司に無理矢理薦められた酒、なんてのもアリガチな話だよね。そのとき、その場では、なんとなく、他人に無理矢理薦められた、うまくもない酒で、自分が好き好んで飲んだわけじゃないから、帰りの車中でもあまり罪悪感なんかは感じずにいる。
でも、はっと目の前の車に気づいたとき、その車は欄干を突き破って水の中、パニックになってアクセル踏み込んだその瞬間に、自分は飲酒運転で3人殺した人間の屑で当て逃げ犯、なんていうたぐいの罠は、人生にはごく普通にある。


しかしそういうのぜんぶ考慮しても、やっぱり、人を死なせてしまったら、すべて空しくなってしまうんだよね。世間のバッシングに対して、言い返す言葉もないし、なにより本人がもし真人間なら、自分自身の良心の呵責から逃げ場がない。
殺してしまう方も、身内を殺される方も、もちろん殺されてしまった当人たちも、すさまじい。僕やその他の、彼らよりは運のいいとおぼしき普通の人々からしたら、そんなのは非日常もいいとこだけど、彼らにとってはその事故の瞬間から、その非日常こそが日常になって、一生付きまとうわけだから。
悪夢だろうと思う。身近な人たちにしたって、それをせいぜいお相伴して、100万分の1ずつでも共有することでしか、その人たちの役に立つことはできない。でももちろん、役に立ってあげられない周囲の辛さより、役立ってもらう期待すら持てない非日常を生きる当人たちの辛さは言語を絶して大きいわけで。

僕自身や、僕の好む人たちには、せいぜい幸運を祈るよりほかはない。こんな事件に巻き込まれたら、人生そのものに修復不可能なひびが入ってしまう。そのことを誰にも止められないし、守ってあげられる人もいないし、修復の手伝いをしてあげられる人さえほとんどいない。
いくらでもやり直せる、なんてノーテンキにうそぶいてはいられなくなる・・・のは、僕程度の苦難でもすでに現実レベルになってしまってる話だけど、恐らくはそれどこじゃないほどに深刻に、そして何より、何の前触れもなく突然に。
悲惨だよ、本当に人生が狂うということは。
02:09 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
Thu.

ミサイル問題を梃子に、韓国マスコミの日本観を考える

この問題に関しての韓国マスコミ(直接的には朝鮮日報)の言及の中から、彼らの日本に対する最大の盲点がなんとなく見えてきたような気がする。
朝鮮日報「特集 北朝鮮ミサイル開発問題」
僕が思うにそれは、ごく単純にいえば、彼らが「日本(人)がいかに北朝鮮を深刻に恐れ、そして怯えているか」を、ひょっとしたら半分も理解していないのかもしれない、という点だ。

韓国の人たちにとって、北朝鮮はやはり、「険悪な同居夫婦」という程度の間柄であり、「他人ではない」のかもしれない。という、いわばわかりきっていることを、僕はいま改めて思う。
ことと次第によっては包丁を振り回して襲ってくるかもしれないが、しかしまあ、そんなこともするまいよ、という漠たる期待感が、どこかしらあるのではないか。朝鮮日報の記事をあれやこれやとひっくり返すうち、僕はそう思えて仕方なくなってきてしまった。
そしてそこにこそ、彼ら韓国マスコミの多くの関係者が、日本の限定的(←この括りが抜けている報道や要人発言がなんと多いことか、韓国よ・・・「限定的」なんてことに現実性がさほどないのは認めるが、しかし気持ちは汲んでもらわなくてはならない)先制攻撃論を、軍事大国化を意図した政略的議論としか思えない理由があるのではないかと僕は思う。

要するに、日本はもういいかげんビビっていて、ビビっているからこそ強硬姿勢を打ち出したくなる人が出ている、という面が、どうもリアルに想像できてないように見えるんだよね、韓国マスコミは。しかし事実は、韓国マスコミの多くには信じてもらえないかもしれないけど、かなりの部分までそんなものなのだ。
そりゃもちろん、日本の過激政治屋連中にだってそれなりの思惑や複雑な利害計算だってあるでしょうさ。でも、かなり高純度の民主国家である今の日本で、彼らがああいう発言をしても支持を決定的に失うことがない理由は、世論がそれを違和感なく聞ける状態にあるから。
そして、なぜ違和感なく聞けるのかといえば(この点こそが韓国マスコミがからきし理解できていないと僕が思う点だが)、それは日本人(世論)が、北朝鮮という国家ないし軍事勢力の圧力に、いいかげんビビっていて落ち着きを失っているからなのだ。

韓国にはやはり、歴史的経緯からくる日本アレルギーのようなものが拭いがたくあるのかもしれない。どうしても日本を総体として「のみ」捉えてしまうようなところがある。
言いたいことだけ言って景気のいい一部の過激政治屋や、匿名の隠れ蓑にぬくぬくとくるまったネット右翼連中は別として、日本という国を構成するかなりの部分の人々が、いかに軍事的自信がなく、北朝鮮に怯え、安全の確保に目をきょろきょろさせつついろんな対策を計りにかけたい心理状態にあるか、が想像もつかない。
そのことは、無理もないことなのかもしれないが、しかしこの問題を客観視して公平に韓国国内にアナウンスする上ではとても不都合なことには違いない。

どうにかしてもう少し、冷静さと客観性とを取り戻してほしいものだけど、朝鮮日報。
ここしばらくいい記事が多くて、日記なんかでもたびたび取り上げてきた新聞だからなおさら。


<追記>

僕はここしばらく、韓国メディアなら中央日報より朝鮮日報といい続けてきたけど、たったいま中央日報を覗いてみたら、実にマトモな論評記事が目に飛び込んできた。
「【社説】ミサイルには沈黙し、日本ばかり糾弾するのか」

北朝鮮にはきちんと抗議1つできなかった政府が、日本に対して強硬すぎる姿勢を続ければほかの「政治的目的」があるとしかみられない。韓日両国は易地思之の立場で互いに見なければならない。何より当局者らの発言は慎重にされなければならない。我々は「日本のように夜明けからばか騒ぎをしなければならない理由はない」という表現は書いてはいけないし、日本も先制攻撃論のような発言は慎まなければならない。

今回の「ミサイル危機」は両国はもちろん北東アジア全体の安保を脅かすまさに重大事態だ。知恵を出し合ったとしても解決策が出るかどうかわからないというぐらいなのに「北朝鮮のミサイル発射」という本質は忘れ、こんなに対立ばかりもたらせば両国にとっても決して役に立たない。

全文を通して読めば、やはり内容的にはすべてに納得とはいかないものの、政治的な冷静さを取り戻せという主題については全面的に賛成できる。
また上掲の社説とは別にこのへんの記事なんかも、日本の原寸大の主張をそのままに韓国内に受け渡してくれたものとして、評価されてよい内容だと思います。
そこをいくと、本当にどうしちゃったのかなあ、朝鮮日報。社説とか最近、ときどき本当にヘンだよ。
02:30 | 時事・社会 | comment (-) | trackback (-) | page top↑
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